あの世の異変に始まりこの世をも巻き込んだ大騒動に発展した事件も、歴戦の戦士たちの働きによって何とか収束を迎えることとなった。
ジャネンバの消滅と共に閻魔宮に張られていた結界も消え、あの世から甦った過去の悪人たちは一人残らず強制送還され、天界から下りてきていた戦士も無事天国へ帰り、ようやく地球にも平穏な時間が戻ってきた。
皆の無事を確認するためカプセルコーポに集まっていた仲間たちは、あの世で最後に決着をつけて戻ってきた悟空とベジータを見てホッと肩の荷を下ろした。
そして、「せっかく皆が揃ってるんだから、駄目になっちゃったキャンプの代わりにパーティーやりましょうよ」とブルマが提案し、特に反対する声もなく、そのまま彼女やブリーフ夫人の手配により賑やかな宴が企画された。
数時間前に孫家で食事を食べたばかりのはずの悟空とベジータは、チチや悟飯たちに「おめえらあんなに食ったのにまた食うだか」と呆れられつつ、いつもの健啖ぶりを発揮して料理の皿を空にしていき、そんな二人を周りも苦笑混じりに見守るのだった。
和やかな時間がひとしきり流れ、やがて西の空に残った茜色が徐々に夜の色へと変わり始める黄昏時を過ぎ。
長かった一日が、暮れようとしていた。
「──ここにいたんですか、父さん」
相変わらず下の広間で続いている賑やかな喧騒から一旦席を外したトランクスは、先程から探していた相手の姿を部屋で見つけ、後ろから声をかけた。
さっきまで悟空と競うように料理を平らげていたベジータは、ふと気がつくとほろ酔い加減の仲間たちが賑やかす席からいつの間にかいなくなっていた。
ブルマに聞いてみると「そういえばいないわね。また『騒がしいのはゴメンだ』とか言って部屋に戻っちゃったんじゃないの?」ところころ笑った。
こちらも相変わらずの母に苦笑しつつ、トランクスは「ちょっと探してきます」と屋内へ足を向けた。
しばらく広い屋内を若干迷いつつも階上へ上がり、教えられた父の自室へ辿り着くと、ベランダにいる彼の後ろ姿を見つけたのだった。
どうしようか迷ったが、入り口のドアは開いていたし、自分には気づいているはずだが拒否の声も返ってこない。父のそれは了承の証と判断し、トランクスは中へ足を踏み入れた。
とはいえ、基本はあの気難しい父だ。多少の緊張のため無意識に背筋を伸ばしながら、ゆっくりとベランダに近付いた。
ベジータはベランダの手すりによりかかり、ネオンの灯り始めた街並みを眺めながら黙って佇んでいた。
その傍らにグラスとボトルの乗ったトレイが置いてあることに気づき、トランクスは少々驚いた。
彼がこういった嗜好品の類を飲むことがあるとは思わなかったからだ。
かつて共に修行をし、短い時間ながら近くで過ごした時間の中でも、ベジータの合理的思考は徹底していて、無駄なものはまず摂取しなかった。
特に酒は判断を鈍らせる余計な物質だと断言して一切口にすることはなかった。
それをこうして自ら嗜んでいるということからも、父の変化が窺い知れる。トランクスは何とも言い難い感慨を覚えながら、彼の側に並んで外を見下ろした。
階下からは相変わらず賑やかな声が聞こえてくる。
今日の出来事は彼らにとっても青天の霹靂のような騒ぎだったから、安堵の気持ちも大きいのだろう。
思いも寄らないきっかけから再び訪れた過去の世界。それでも仲間たちは変わらず彼を歓迎し、温かく迎えてくれた。
本当は戦いが済めば元の次代へ戻るつもりだったが、ブルマの「せっかくなんだから一晩くらい泊まって行きなさいよ、どうせタイムマシンで戻るんだし」という勧めもあり、一日留まることになったのだ。
この世界の自分──幼いトランクスが特に喜び、側に来ては自分の話を聞きたがった。
同じ自分なのだから何とも奇妙な気分ではあったが、弟がいたらこんな感じだったのかもしれない、と彼も微笑ましく思っていた。
「──今日は大変でしたね。でも、みんなが無事で本当によかったです」
風に当たりながら、ふと呟く。それは心からの言葉でもあった。
「──まったく、あの世のゴタゴタのおかげでこっちはとんだとばっちりだ。界王神や閻魔の野郎どもの危機管理能力を心底疑うぜ」
特に返事を期待していたわけではない呟きにそんな台詞が返ってきたので、あまりに父らしい言い草に思わず吹き出しそうになる。
今回の騒動の発端はあの世で起きた事故だったというから、その文句の向きも間違ってはいないのだろうけど。
「……でも、片がついてよかったです。まさかこんな突然過去に来ることになるとは思いもしませんでしたけど」
「だろうな」
カラン、とベジータが揺らしたグラスの中で氷が音を立てた。
何気ない会話。けれど、ごく自然に交わされる、他愛もない言葉のやり取り。
改めて父の横顔を見ながら、トランクスは目を細めた。
明らかに、自分が知っているあの頃よりも、父は変わった。以前のようなピリピリした鋭利な空気はなりを潜め、頑なさが和らいだように思う。
現にこうして隣で並んで話すことができるということが何よりの証拠だ。あの頃は、普通の会話すら成立することが難しかったのだから。
母やこの世界の自分が嬉しそうに話していた印象と、また実際に今日自分がこの目で見た父の姿を思い出す。
戦いのさなか、自分がジャネンバごと元気玉に巻き込まれそうになった時、ベジータは多少荒っぽいやり方ながらも危険を顧みずに飛び込んで助けてくれたのだ。
そして、元気玉の力をその身に纏い、ジャネンバを倒した。自分たちや、この地上を守るために。
間違いなく彼が自身の身を挺して闘ったその姿は、まさに幼い頃夢に描いた父の背中そのものだった。
かつての父を思えば俄には信じ難いほどの変化。だからこそ、トランクスは嬉しかった。
父は確かに変わったのだ。母と、幼い自分が共にいるこの世界で。
「いろんなことを聞いて驚きもしましたけど、またこの世界が見られてよかったです。……それに」
大事そうに触れたポケットから、あの写真を取り出す。
「小さいオレからもらったこれも──嬉しかったです。ありがとうございます、父さん」
「い、いちいち出さなくていい! ……まったく、ブルマの奴が写らないとメシ抜きだとか何だとかやかましく言いやがるから」
それが何か察したのだろう、ベジータはつっけんどんにぶつぶつ言いながら視線をふいと逸らした。
その顔が心なしか赤いように見えるのは、きっと酔いのせいではないだろう。予想通りの反応に、トランクスの頬が緩む。
彼の手には、小さい自分から渡された写真があった。
それは、若い母と、幼い自分と──そして父と。家族みんなで揃って写した写真。
笑顔の母と自分、それから半分苦虫を噛み潰したような、ぎこちない表情で写っている父。
彼の性格からして、進んで写真に写るようなことはまずないはずだから、きっと母が強引に誘ったのだろう。母の頭の回転の速さと口の達者さは並大抵ではないから、太刀打ちするのは相当に難しい。きっと、あの手この手で言いくるめてきたに違いない。
その時のやり取りや父のしかめっ面が容易に想像でき、トランクスの表情には、心から楽しげな笑みが浮かんでいた。