────パパ!!
トランクスは焦っていた。誰が見ても逼迫した雰囲気が全面に表れた顔で、カプセルコーポ敷地内のそう遠くない距離を全力で飛んでいく。
つい先刻、意識を失ったブルマとブラを家の中に運び、祖父母の手も借りて安静にできる部屋へ寝かせたが、二人の状態は依然変わらずのままだった。
怪我をしているわけではないし、表面だけを見れば深く眠っているだけにも思えるが、どんなに声をかけても揺すっても、二人が目を覚ます様子はなかった。
父の言うとおり、気は確かに感じるが、それもこんなに間近にいてもかなり弱々しいのだ。放っておけば消えてしまうのではないか、と思うほどに。
何より、あの時聞こえた母の悲鳴から考えても、何かあったのは間違いないのに。
そこで感じた空気の揺れと地響きに、ふと顔を上げる。
おそらくベジータが、先程現れた男と闘っているのだろう。あの男は一体何者なのかということも気にかかったが、父に母と妹を託された以上、ここを離れるわけにもいかない。
ベジータならきっとすぐに戻ってきてくれる。そう思っていても、原因のわからない不安は隠しようがなく。
母と妹に対してどうすればいいのか手が見つからず、同じように困惑している祖父母と一緒に、今はただ側に付いていることしかできない自分がもどかしかった。
その時だった。
突然、闘いの最中にいたはずのベジータの気が大きく乱れ、不安定に揺れたかと思うと、徐々に弱くなり始めたのに気づいたのだ。
「──!!?」
弾かれたように顔を上げ、咄嗟に気を注意深く探る。時折奇妙なノイズ音が邪魔をするのに眉をひそめるが、何とか父の気を察知した途端、表情を強張らせてトランクスは立ち上がった。
居ても立ってもいられず、祖父母に母と妹を任せ、建物を飛び出す。
何かがベジータの身に起きた。そうでなければ、こんなに急に気が小さくなるのはおかしい。
逸る気持ちのままに中庭まで来ると、広範囲にわたってそこかしこがひび割れ、荒れた地面を見て息を飲む。
少し高度を下げながら、懸命に辺りを見回してベジータの姿を探す。すると、ひと際大きく地面が抉れた地表の近くに、倒れている背中が目に飛び込んでくる。
「!!」
息を飲んで即座に降下し、側に駆け寄る。
「パパぁっ!!」
動揺に掠れる声で呼びかけるが、父の体は力なく地に倒れ伏し、いくら揺すってもピクリとも動かない。
「!!! あ……あ」
その上、ベジータの背中に触れた手にぬるりと嫌な感触がし、咄嗟に視線を落としたその手が鮮血に染まっているのを見て愕然となる。
まさかの光景にトランクスは激しく取り乱し、半泣きで何度も呼びかけた。
「嘘だ、パパ! しっかりしてよ、パパぁ!!」
その間にも段々と小さくなっていくベジータの気に、はっと我に返ったトランクスはとにかくこの場を何とかしなければと歯を食い縛った。
その時、不意にここへ猛スピードで近づいてくる気配に気づいて弾かれたように空を見上げる。
彼が立ち上がると同時に気の持ち主は上空で停止し、地上に下りてきた。
「ベジータ!」
一寸の間を置いて駆け寄ってくる相手が悟空であることがわかり、トランクスがホッと表情を緩める。
「おじさん!」
「トランクス! 一体何が……ベジータ!!?」
駆け付けた悟空は、ぐったりと意識の無い様子で倒れているベジータを目の当たりにして目を見開く。
「トランクス、何があったんだ!?」
「わ、わかんないよ…! さっき変な奴が現れて、パパがそいつと戦ってたんだけど、急に気が弱くなったから飛んできたらもう倒れてて…!」
涙目で訴えるトランクスに眼差しを引き締めると、悟空はしゃがみこんでベジータに呼びかけた。
「ベジータ、おい! しっかりしろ! なんでおめえが……」
しかし助け起こした時に手に触れた感触と、彼の服をべったりと染めている色に気付いた途端、面差しが強張る。
「……!!!」
それがかなりの出血であることは一目瞭然で、ベジータが倒れていたところのむき出しになった地面が、赤黒く色を変えて徐々にその範囲を広げているのがわかる。
「ベジータ!」
「……っ、……ぅ……」
悟空の呼びかけにもほとんど反応を示さず、微かに聞こえる呼吸音は苦しげで、浅い。目を開かないまま、少しずつ、確実に弱まっていく彼の気に、一刻を争う状態であることを悟った悟空が、一気に表情を険しくした。
負担をかけないようにベジータの体をそっと地面に横たえ、眦(まなじり)を引き締める。
「トランクス、オラが今すぐ仙豆を取ってくるから、ベジータはこのまま動かさないほうがいい。ここで待っててくれ」
「え……う、うん!」
はっと視線を上げたトランクスが慌てて頷く。
「すまねえな、今、何でかわかんねえけど瞬間移動ができねえんだ。カリン様のとこに飛んで行ってくる。すぐ戻るから、頼んだぞ」
「うん…! おじさん、お願い!」
「ああ」
縋るように見上げるトランクスに力強く頷き、悟空は即座にその場からカリン塔の方角へと向かって飛び立った。
それより少し前、中の都では──。
「ありゃ、何だか変な空になっちまっただな」
「ほんとだ。さっきまで晴れてたのに」
窓から見える空が急に薄暗くなったのを見て、チチとビーデルは眉を寄せた。
「今日は雨の天気予報はなかったはずだけど……」
雨雲にしてはいやに重苦しい圧迫感を漂わせる黒い雲を訝しげに見上げていると、リビングの電話が鳴った。
「あ、わたしが出ます」
パンをチチに任せて電話に出ると、相手は悟飯だった。
夜の仕事の予定が先方の都合でキャンセルになったので、夕飯までには帰れそうだという悟飯に、ビーデルが丁度よかった、と応える。
「今チチさんたちも来てて、悟空さんと悟天くんが夕飯の材料獲りに行ってくれてるの。久しぶりにみんなで──」
だが、その瞬間。
突然、ガラスが割れる音と衝撃音が響き、驚いたチチとビーデルが弾かれたように振り返る。
「な、何だべ!?」
咄嗟にパンを抱きかかえてチチが後ずさる。
驚愕に目を見開いた二人の前にゆらりと現れたのは、全身を真っ黒に塗り潰された、異様な姿形の影──
「な……」
「な、何!?」
即座にチチとパンに駆け寄ったビーデルが、二人を庇うように前に出る。が、相手の動きは速かった。
『何よあんたたち……きゃあぁ!?』
「!? ビーデルさん!?」
急に電話の向こうから聞こえたガラスが割れるような破壊音と、それを追うように響いたビーデルの悲鳴に、悟飯は顔色を変えた。
その後微かにパンの声らしき赤ん坊の泣き声が聞こえたがそれもすぐに途切れてしまい、あとはいくら呼びかけても何も返って来なかった。
何かがあったとしか思えない状況に、悟飯は電話を切ると即座にその場から走り出した。
周囲の目に対する配慮もそこそこに、人目のつかない場所まで一気に走るとその場からすぐに宙へ飛び上がる。
さっきまでいた場所とそれほど距離が離れていなかったことと、スピードの加減をせずに飛んだために間もなく自宅へ辿りつき、急いで家の中に駆け込む。
「ビーデルさん!」
息を切らせてリビングに飛び込むと、まず大きく破壊されたベランダの窓が映り、次に床にしゃがみこんでいえる長身と小柄の影が目に留まった。
「あ、兄ちゃん!」
「悟天! …ピッコロさん!?」
振り返った二人に駆け寄ると、床に倒れている妻と娘、そして母の姿を目にして悟飯が青ざめる。
「ビーデルさん、パン! お母さん!? ピッコロさん、これは……一体何が……!?」
「すまん、悟飯。オレたちも今さっき来たばかりで、間に合わなかった」
「ビーデルさん!」
動揺して妻を抱き起こして名を呼ぶが、応答はなかった。チチも同じで、物音には敏感な赤ん坊のパンでさえも全く反応を示さない。
「どういうことなんですか、ピッコロさん! みんな一体……」
「落ち着け、悟飯。まだ気を感じるだろう、三人とも生きている」
「……あ」
悟飯と悟天もピッコロに諭されてはっと我に返り、三人の気を確かめる。
少し弱くはあるが確かに気を感じ、一気に肩から力が抜ける。
「でも、どうして……」
「わからん。オレも気になることがあってな、おまえに伝えに行こうとしていたところなんだが、オレや悟天が来る直前に何か異変があったようだ。だから何が起きたのか直接は見ていない──すまんな」
「……いえ。悟天、おまえも見てないか?」
「う、うん。ボクもおとうさんに言われて来たんだけど、もうおかあさんもビーデルさんも倒れてて……」
「お父さんに?」
「うん。おかあさんたちを頼むって言われたのに……」
責任を感じているのか、シュンとうつむく悟天に、ピッコロが「おまえのせいじゃない、気にするな」と声をかける。
「そうか…。…それで、お父さんは? 一緒じゃなかったのか?」
「ううん。おとうさんと二人で海に魚を獲りに行ったんだけど、急に空が暗くなったり、変なお化けみたいな奴が襲ってきたりして、気になるからおかあさんたちのところに戻ってろっって言って。おとうさんはトランクスくんの家に行ったんだ」
「西の都に?」
「うん。変な奴らが気になるから追ってみるって」
「……そうか」
お化けみたいな奴、という言葉が気になったが、悟天にもそれ以上の詳しいことはわからないのだろう。言葉を切って俯く弟の肩を、労わるように軽く叩く。
「とにかく、みんなを家の中に」
悟天を促し、三人を中へ運ぶ。その間もやはり全く反応は無く、本当に息があるのか思わず何度も確かめてしまう。
「ピッコロさん、どういうことなんでしょう。一体何が……」
意識の無い家族を前に、どうすればいいのかわからない悟飯が焦燥感と不安にぐっと奥歯を噛みしめる。
「──わからん。だが、オレが伝えに来たことと関係ある可能性も高いな」
「伝えに…? そういえば……」
先程そのようなことを言っていたのを思い出し、どうしたんですか?と改めて問う。
「おまえも気づいているだろう、急に空を覆い始めたこの妙な雲を」
「え……ええ。そういえば気になってたんですが」
窓の外に目を向けて頷く。
彼もさっき街中にいた時に、突然黒い雲に覆われ薄暗くなった空の変化を訝しく思っていたのだが。
雨が降るわけでもないのに、空全体に広がる黒雲からはどことなく重苦しい圧迫感が漂い、不穏な空気に拍車をかけている。
「この妙に嫌な感じのする空気は明らかに普通の雲じゃない。しかも、こいつは今や地球上の空をほとんど覆っている」
「地球上をほとんど…!? それは……普通じゃありませんね」
「ああ。それに、やけに気を探りにくくなっているのも、おそらくこの雲が原因だ」
「気を…!?」
「うん、おとうさんもそう言ってたよ。だから瞬間移動ができないって」
「何だって? 瞬間移動も?」
それが事実なら明らかにおかしい。地球上の全ての天候が一度に変化するなどという現象も、自然ではまずありえない状況だ。ますます悟飯の表情に困惑が浮かぶ。
「悟天が遭遇した化け物のような奴らというのも気になる。悟空が西の都へ向かったのも何らかの異変を察知したからだろう。或いは、先にベジータが何かに気づいたか──」
先刻、西の都の方角から感じたベジータの気も、今はこの妙な空気のせいか感じられない。何かあったのか、それとも。
今はまだ確実なことは何もわからない。だが、この地球上に異変が──それも彼らにとっては決して歓迎できないであろう事態が──起きているのは確かだった。
(くそ……一体どうなっている……!?)
かつての神の能力を持つ彼の千里眼をもってしても、未だ原因に行き当たることはできない。
文字通り暗雲垂れ込める不穏な気配がじわじわと忍び寄る足音を感じながらも、現状を打開する手は見つからず、ピッコロも歯噛みするしかなかった。
全速力でカリン塔に向かった後カリン様から仙豆を受け取り、すぐに取って返した悟空は間もなくカプセルコーポへ戻ってきた。
時間にしてほんの数分、しかし重傷を負った父の身を案じるトランクスにはそれでも数十分以上過ぎたように感じ、悟空の姿が見えた瞬間泣きそうになりながら「おじさん!」と叫んだ。
「すまねえ、待たせたな」
急いで駆け寄った悟空がしゃがんで膝をつき、右腕で静かにベジータの上半身を支えて抱き起こす。
「ベジータ、仙豆だ。食え!」
左手で仙豆を口に軽く押し込んで含ませると、辛うじて飲み込むことができたようだった。
「……う」
少しの間を置いて瞼がピクリと動き、掠れた息が押し出される。
「パパ!!」
息を飲んで呼びかけるトランクスの声に反応したように薄く瞼が持ち上がり、何度か瞬きを繰り返したあと、ハッと両目が見開かれて反射的に体を起こす。
「……トランクス!」
「パパ! 大丈夫!?」
「気がついたか、ベジータ!」
「!? カ、カカロット!?」
「良かった、良かったよぉ……パパぁ……!」
隣に悟空がいることに驚くベジータに、トランクスが抱きつく。
すぐには現状が飲み込めず、息子の様子に戸惑うベジータに悟空がホッとした顔で口を開く。
「間に合って良かったなぁ。仙豆が無かったらおめえ、危なかったぞ」
「なに? どういう……」
そこでハッと思い出したように顔を上げ、周りを見回す。
「トランクス、奴は……奴らはどうした!?」
「わ、わかんないよ。パパの気が急に弱くなって驚いたから、急いで来た時はもうパパが倒れてて、他には誰もいなかったから……」
ぐす、と半べその顔でトランクスがつかえながら説明する。
「オラもビックリしたぞ、おめえが誰かと戦ってるような気を感じたから飛んできたんだけど、そしたらもう大怪我で倒れてたからな」
「……」
そこでようやくさっきまでの出来事を思い出し、ベジータは押し黙った。
改めて自分の状態を確認すると、どうやら悟空が仙豆を持ってきたらしく、痛みなどは全て消えている。が、べたりと不快な感触に染まった服の痕跡が、受けた傷の深さを物語っていた。
トランクスの狼狽の原因は、致命傷に近い状態で意識を失っていた自分を見たためだろう。不意打ちだったとはいえ無様に倒れてしまった己の情けない姿を、トランクスだけでなく悟空にまで見せてしまったことに歯噛みするが、息子に心配をかけてしまったのは事実だ。それに憤っている場合でもない。
「……心配かけたな、すまん」
「う、ううん。もう大丈夫?」
「ああ」
良かった、と安堵の笑顔を見せるトランクスに小さく笑みを向ける。
「おめえがそこまで苦戦するなんて、一体、何があったんだ?」
いつもの調子に戻ったベジータに安心したように気を取り直して悟空が訊ねると、ベジータは軽くひと睨みを返して立ち上がった。
「悪いがその話は後でする。トランクス、ブルマたちはどうした?」
「え…っと、おばあちゃんたちが見てくれてる。ママもブラも変わらないみたい……」
「……そうか。戻るぞ」
「あ、待ってよ、パパ!」
「お、おい、ベジータ!」
返事を待たず地を蹴るとカプセルコーポの建物へ戻っていくベジータの後を、トランクスが慌てて追う。
「ごめんおじさん、家で説明するから一緒に来て!」
「あ、ああ」
未だ事情が飲み込めずに困惑する悟空を、トランクスが振り返って呼ぶ。とにかく何がどうなっているのか説明を聞かずに引き返すわけにはいかないので、悟空もトランクスの後を追って丸い屋根の方へと向かった。
家の中に戻ると、ベジータとトランクスは再度ブルマとブラの容態を確認したが、二人とも眠り続けたままでやはり変化はなかった。
意識の無い旧友の青白い顔に驚いた悟空は、トランクスから事の次第を説明され、真剣な顔で眉を寄せる。
「やっぱり、あの嫌な感じの雲が出てきてから変なことばっか起こってるな」
自分と悟天が遭遇した黒い影のこともある。何か関係があるとしか思えないが──。
「あの妙な雲も、きさまの言う影のような化け物も、おそらく全ての元凶はあの連中だ。今のところ、遭遇したのはオレだけのようだが」
「あの連中って、おめえが戦ってた奴か?」
「ああ。オレとしたことがまったくもって迂闊だったがな」
先刻の戦いを思い出し、忌々しげに吐き捨てる。
「何者なんだ、そいつら。そんなに強かったんか?」
「手強い相手なのは確かだ。だが、結局詳しい目的はわからないまま逃げられた」
苛立ちを抑えながら、端的に語るベジータの説明に悟空もトランクスも神妙な顔で聞き入る。
彼が遭遇した敵は二人。双方ともに酷似した外見を持ち、今地球に起きている異変についても、原因を仄めかす言動をしていたという。
何より気になるのは、片方が発した『元破壊神候補』という言葉、そして戦いの最中にも関わらず、ほとんど気を感じなかったという事実だ。
「破壊神候補……って、どういうことだ。破壊神って、ビルス様のことだろ?」
「多分な。断言はできんが、現実に気を感じなかった点から考えても、あの類の神に近い何かを持っているのは間違いない」
「破壊神なら神様ってことだろ? なんで神様がこんなことすんだ」
「知るか。とにかく、ろくでもないことを考えているのは確かだ。奴らが原因だというなら、とにかく見つけ出さなきゃならん」
今度は絶対に逃がさん、と言い放つベジータの双眸に冷えた殺気が走り、トランクスが思わず首を竦めた。
戦闘服以外は使い物にならないとボロボロになった上着を鬱陶しげに脱ぎながら、ベジータは一旦部屋に戻ると言って廊下に向かった。
「ありゃあ相当怒ってんな…」
「うん…」
間近でビリビリと感じた殺気に悟空がぼそりと呟き、トランクスも冷や汗を浮かべる。
怒りの源は敵の不意打ちを受けて倒れてしまった自分自身へ向けたもの、そして近くにいたにも関わらず妻と娘を危険に晒してしまったこと、その両方だろう。
ベジータが一人目との戦いで油断していたとは思えないし、相手の気を全く感じなかったのであれば、突然現れた二人目に気付けなくても無理はない。分が悪かったとしか言えないだろう。
彼にしてみれば、そんなものは言い訳にもならないのだろうけど。
「とにかく、こうなったらその二人ってのを早く探さないといけねえな」
ベジータとトランクスから聞いた話も合わせて判断すると、その『元破壊神候補』の二人とやらが良からぬことを企んでいるのは間違いなさそうだし、現にベジータがその二人との戦いで重傷を負い、更にブルマやブラが原因不明の昏睡状態に陥っているという実害も出ている。
瞬間移動もできないこの嫌な空気の原因もその連中だというなら尚更だ。一体何が目的なのかはわからないが、早急に突きとめる必要がある。
「チチたちの方も気になるし、オラも一旦戻ってからすぐ行くよ。トランクス、ブルマたちを頼んだぞ」
「──うん。おじさん、ありがとう」
改めて礼を言うトランクスに、悟空はフッと笑う。
「いいって。あ、そうそう。おめえたちも少し持ってろ」
言いながら腰布に結んでいた巾着から仙豆を何粒か取り出してトランクスに渡す。
「あんまり数がねえから、大事に使えよ」
「うん」
──その時だった。
突然外から人の悲鳴にも似た喧騒が聞こえ、空を横切る黒いヴェールのような影が視界を掠めた。
「!?」
弾かれたように顔を上げた二人は、急いでベランダに出て身を乗り出す。
「あっ…!」
トランクスが小さく叫んで目を見開く。
彼らの視線の先には、薄暗い空を更に暗くする異形の物体が群れを成して飛び回り、辺り一帯の地上にいる人に襲いかかっているのだ。
「あいつら…! トランクス、おめえはここにいろ! ブルマたちから離れるなよ!」
「う、うん!」
トランクスに言い置いて飛び上がると、悟空は間近にいた影の群れと人間の間に割り込み、両手を構える。
「はっ!」
短い気合いと共に両手から放たれた気功波が、たちまち黒い化け物を消し飛ばす。
「おめぇら、早く家の中に逃げろ!」
何が何だかわからないといった顔で震えていたカプセルコーポの社員たちは、悟空に一喝されて我に返り、大慌てで建物の中へと走っていく。
黒塗りの異形は奇声を上げて宙を旋回し、エアカーやジェットフライヤーに乗った人々まで手当たり次第に襲っている。
「ちくしょう、これじゃ数が多すぎてキリがねえぞ!」
細かく気弾を飛ばして撃ち落としても、空を覆う黒い塊から次々と枝分かれしてくるため、底が見えないのだ。
その時、
「カカロット、避けろ!!」
鋭い声が割り込んだかと思うと、咄嗟に身を引いた悟空の肌を掠めながら無数の気弾が唸りを上げて走り抜け、空中で拡散し散らばる敵をピンポイントで消し飛ばしていく。
「はあああ!!」
次いで荒々しい気の波が立ち昇り、上空の異形の塊に向けて一気に高まった気が迸った。
強烈な光波をまともに食らい、黒影の集団は断末魔の叫びを上げて散り散りに消えていく。
息もつかせぬ連続攻撃に、この一帯を飛び回っていた影は大部分が消滅し、残った連中も怯んだように身を翻して逃げ去っていった。
「……ふぃ〜」
空を埋め尽くしていた化け物の群れは瞬く間に一掃され、悟空が大きく息をつく。
「危ねえなぁベジータ、人に当たったらどうすんだよ……けどすげえな、あっという間に追っ払っちまった」
「当たり前だ、あんな雑魚にモタモタしていてどうする。時間の無駄だ」
上空からゆっくりとベジータが下りてくる。最近常用している黒い戦闘服に身を包み、ピリピリと鋭利な気を発している表情はいつでも臨戦態勢といった様子だ。
「奴はあの黒い化け物を“使い魔”と言っていた。だとしたら、こいつらも奴らの手駒に過ぎないだろう。退却したのもおそらく一時的だ。元を絶たない限り根本的な解決にはならん」
「……ああ。思ってたより急がなきゃならねえな」
悟空も表情を引き締め、同意して頷く。
「パパ、おじさん!」
戻ってきた二人にベランダから見ていたトランクスがホッとした顔で手を振る。
「ここもまたいつ異変が起こるかわからん。いいかトランクス、絶対にブルマたちの側から離れるなよ」
「う…うん。パパは?」
「オレは奴らを探す。元凶を突き止めなければどうにもならんからな」
「そうだな。何とか手がかりを探さねえと」
と、その時。
『悟空さん、ベジータさん! 聞こえますか?』
不意にその場に響いてきた声に、全員がはっと視線を跳ね上げる。
「デンデか? どうしたんだ?」
声の主に思い至った悟空が返事をすると、デンデは急いで神殿に集まって欲しいと告げてきた。
どうかしたのかと怪訝な顔をする悟空たちに、どこか緊張を帯びた声が続ける。
『ピッコロさんにも伝えていますが、今地球で起きている異変について、皆さんに早急にお話したいことがあります』
「何だと? そっちで何かわかったのか?」
ベジータが語気を強めて問い返す。
『ええ。地上の人々にも既に影響を及ぼしているはずです。一刻を争います、出来るだけ急いでください』
「──わかった、すぐに行く!」
『お願いします』
短い通信が途切れると、二人は改めて眦を引き締めた。
「じゃあ瞬間移動で…って、今はできねえんだった。仕方ねえ、飛んで行くぞ」
「待てカカロット。トランクス、おまえも来い。ブルマたちも一緒に連れて行く」
「え?」
「ここにこのままにしておくよりはマシだろう。或いは、デンデならこいつらがどういう状態なのかわかる可能性もある」
「それもそうだな」
「それに、少なくとも地上よりは向こうに避難させたほうが安全だ。だから早く準備しろ」
「う、うん。わかった! ちょっと待ってて!」
父の指示に大きく頷いたトランクスは、急いで部屋を飛び出していった。
パタパタと廊下を走る足音を聞きながら、ベジータがベッドに横たわった妻子に目を向け、ぐっと拳を握ると徐に外を見やる。
悟空も黙って空を見上げ、唇を引き結ぶ。
一点の隙間すら見えない薄闇は、先の見えない不穏をそのまま表しているかのように、依然として重く澱んだ様相のまま、彼らの上を冷たく覆っていた。