After The Battle...


<3>

「──そっちのあいつは、元気なのか」
 不意に尋ねられてはっと顔を上げる。一拍遅れて母のことを聞かれているのだと思い至り、慌てて頷いた。
「あ、はい。元気です。──もう年齢が年齢なので、あまり無理はさせられないと思ってるんですけど、まだ復興の仕事でやることも多いので、いつも頑張ってます」
「……そうか」
 短く呟く父の視線は前を見つめたままで、その言葉にどんな思いが去来しているのかはわからない。
 けれど、こちらの母のことを聞かれるとは思っていなかったので、その言葉だけでもトランクスはどこか嬉しかった。
 服の内ポケットにしまいこんだ写真にそっと触れ、母の顔を思い浮かべる。
 母がこの写真を見たら、どう思うだろう。喜ぶだろうか、それとも驚くだろうか。
 父から渡されたものだと言ったら、目を丸くして驚きそうな気がする。
「あいつのことだ、おまえたちだけを置いてさっさと死んだオレに、さぞ悪態をついてたことだろうな」
 思考を遮って届いた声。微かな笑みを含んだそれは、しかしどこか自嘲を帯びた響きだった。
 トランクスは目を瞬き、慌てて否定する。
「そんなこと、ないですよ。──確かに、ずっと大変だったとは思いますが……母さんが、オレの前で弱音を吐いたり、誰かに恨み言を言ってたことは一度もありませんでした」
「………」
 ──そう。ブルマは、いつだって気丈に振る舞い、自分を励まし、元気づけてくれた。母の笑顔に、辛い闘いの中でどれだけ救われたかわからないくらいだ。
 ……だから、こそ。時折──特に父のことを尋ねた時に見せた、少し困ったような表情と寂しげな眼差し。
 「わたしには、わかるの」……そう呟いた横顔を、トランクスは今でも覚えていた。
「でも、時々── 一人でいる時はやっぱり昔を思い出すのか、辛そうな顔をしてることもありました。きっと、みんなや父さんのことを──」
「……どうだろうな」
 え、と思いがけない応(いら)えにトランクスが顔を上げる。
「他の連中のことならともかく、そっちのオレは、おまえが生まれて間もない頃に死んだんだろう? ……だとしたら、思い出すほどの時間すら、あの頃のオレたちにはなかったはずだ」
「………」
 ──そうだ。
 後になって気づいたことだが、自分が父のことを聞くたびに、どこか困ったような顔をしていた母。
 今なら、何となくだけど、わかる気がする。
 あの頃の父の性格のこともあっただろうけど、母も、あえて多くを語らなかったのではなく──語れるほどの時間を、持っていなかったのかもしれないと。


 言葉を切ったトランクスの横で、ベジータは黙って西の空を見つめていた。
 未来の世界で、人造人間との戦いで自分が死ぬまでに地球にいた時間は、どんなに長くてもおそらくせいぜい5年か6年。
 その中でブルマと共にいた時間となれば、当然更に少ないだろう。
 こちらの世界での記憶と重ね合わせても、何かを残すにはあまりにも短い時間だったはずだ。
 あの頃の自分にとっては、まだ。
 絶望的だったという戦況下で、未来の自分が何を考えていたかまでは、わからない。
 ただ、セルとの戦いで悟空が死んだ後の自身の心境を思えば、目標を失ったその世界の自分が、戦いの中に死に場所を探し求めていたとしても、不思議ではない。
 戦いの中で散るのならば、サイヤ人としてはむしろ本望。あの頃の──まだ、彼女との日々に抱いた感情に付ける呼び名を知らなかった自分なら、おそらくそう思ったに違いない。
 そして、彼女も。そんな自分を引き止めようとはしなかっただろう。
 きっと、時間がなさすぎたのだろう──彼女にも、自分にも。


「だが、あいつの悪運の強さは宇宙最強クラスだからな。どんな状況でもしぶとく生き延びていくだろう。あいつは、そういう女だ」
 褒めているのかけなしているのかわからない言い草にトランクスは苦笑する。けれど、口調とは裏腹に、その言葉には温かなものが含まれているのが感じられ、知らず笑みが零れた。
 今ならわかる。きっと、父にも母にも、時間が足りなかっただけなのだろうと。
 それはこの世界で見る姿が何よりも証明している。
『オレが話しちゃったこと、パパには内緒だよ?』
 そう言って同じ色の瞳が嬉しそうに語っていたことを、思い出す。
 先の魔人との壮絶な戦いで、ベジータが一度命を落としたという事実は少なからず彼に衝撃を与えた。
 けれど。
 父はその時、自らの死を覚悟した上で、初めて抱きしめてくれたという。
 幼い自分に母を託し、気遣う言葉を残して。
 父は紛れもなく、自分たちを守るために命を懸けて戦ってくれたのだと、彼は言った。
『そうか、父さんが──』
 幼い自分の語る言葉に、沸々と熱い感情がこみ上げてくるのをトランクスは抑えられなかった。
『おまえが殺されて、そうとうアタマにきたんだろうな、あいつ……なりふり構わずセルに向かっていったんだ』
 かつてのセルとの戦いの後、C.Cに向かう途中でヤムチャが教えてくれた話が思い出される。その事実が、今また新たな感慨をもって、胸に響いてきた。
 確かに最初は、非情で、悪と呼ばれる人間だったかもしれない。けれど、父はこの地球で、悟空と戦い、母に出逢い、そして自分が生まれたことで、変わったのだ。
 過去は変えられなくても、未来を変えることはできる。人は変わっていける。
 今、ここにいるのは、紛れもなく、自分が夢に見、そして憧れとした対象そのものだった。
 もしも自分の世界の父が生きていれば、自分の世界でも、きっと───。
「……オレ、過去に来られて本当に良かったです。悟空さんや、皆さんや、父さんに逢えて。……できることなら、母さんにも、この世界を見せてあげたかった」
 タイムマシンで過去へ行けることが決まった時、迷わず自分を行かせることを決めた母。
 何も言わなかったけれど、本当は、母もきっと、過去の世界を見たかったはずだ。
 失われた光景、亡くしてしまった仲間たちに、父に、もう一度逢いたいと思わなかったはずはない。
 それでも、母は毅然として自分を励まし、送り出してくれた。そして、自分を父に逢わせてくれた。自分が知らなかった平和な世界を、見せてくれた。
 だからこそ。もう一度──母にも、この平和な世界を、見せてやりたかった。
「あいつはいつまでも、過去に拘ってメソメソしているような女じゃないだろう。おまえが聞かせてやれば、それで十分だ」
 前を向いたままベジータが呟く。
「……はい」
 そのきっぱりとした口調に、トランクスは破顔した。やはりこの人は、あの母が選んだ人だ。母の性格を、彼女の気持ちを、きっと誰よりもよく理解している。
 様々な偶然と、必然と、運命の選択が重なり、分かたれた二つの未来。けれど、その根元は間違いなくどちらも同じものだ。
 自分が長らく経験することのなかった平和な日々。頼もしい仲間たちと、明るい母と、少し気難しい父と。皆が笑顔で暮らしていける未来。それは、この世界で、この世界の自分が生きていく。それでいい。
 それが自分の、何よりも守りたかったものだから──。
 言葉を切った二人の間に、しばし沈黙が降りる。
 すっかり陽は沈んで夜の帳が辺りを覆っていたが、階下からは時折賑やかな声が響いてくる。
「戻ったら、『それ』のついでに──あいつに、伝えておいてくれ」
 しばらくして、父がぽつりと呟いた声に、トランクスは顔を上げる。
「たとえ辿る道筋が多少違ったとしても、未来が分かれたとしても──おまえが生まれた世界のオレならば、最後には必ず、同じ答えを選んだはずだ──とな」
「…………」
 しばしその意味を図りかねていたトランクスの目が、その言葉に含まれた真意を理解した瞬間驚きに見開かれ、しかしすぐに満面の笑みへと変わる。
「……はい……!」
 直接託された言葉を噛みしめるように、はっきりと力強い声で頷く。それは母だけでなく、自分にとっても大きな意味を持つものだった。
 父が『それ』と指した、この一枚の写真と同じように。
「必ず、伝えます。……ありがとうございます、父さん」
 息子の嬉しそうな表情に、ベジータは些か視線を横に泳がせたものの、微かに口の端に穏やかな笑みを浮かべることで返したのだった。

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