魔人ブウとの戦いから、約二年。
以来、地球はこれといった災厄が起きることもなく、平和な日々が続いていた。
魔人と命懸けの激戦を繰り広げた戦士たちもまた、死闘の末にようやくつかんだ穏やかな日常を、皆それぞれに万感の思いで過ごしていた。
もう二度と会うことはできないだろうと思っていた悟空が戻ってきた悟飯たち孫一家、そして──魔人ブウとの戦いで一度死んだベジータが戻ってきたブルマやトランクスたち家族は尚のこと、やっと訪れた平穏な日々に抱く想いは、より一層強かった。
ずっと、こんな日が続けばいい──誰もが口には出さないが、心の中でそう強く願っていた。
大切な人が側にいることに、何よりも得がたい喜びを感じながら。
そんな日々が続いた、とある年の夏も終わりの頃。
「ほんと? ママ!」
カプセルコーポの夕食の席で、皿の上の料理を端から腹に詰め込んでいたトランクスが、食事の手を止めて嬉しそうな声を上げた。
「ええ。せっかくの機会だし、久しぶりにみんなを呼んで賑やかにやるのもいいんじゃない?」
「やったあ! 悟飯さんたちも呼ぶんでしょ?」
「もちろんよ。まあ、まだ少し先の話になるけど、今から話しておけば予定も立てやすいと思うし。詳しい日はそのうち決めるから、考えておいてって伝えて」
「うん! オレ、明日悟天に言ってくるよ!」
目を輝かせて元気な返事をし、大きく頷くとトランクスはうきうきと食事を再開した。
「……というわけだから、あんたもいいわよね?」
息子の楽しそうな様子に目を細め、ブルマは向かいに座って同じように食事をかき込んでいる夫にウインクしつつ確認するように尋ねた。
「……好きにしろ」
ブルマの提案を聞いた時から、あからさまに不機嫌そうな面持ちを隠そうともしなかったベジータだったが、彼女の意味ありげな笑みと、トランクスの本当に嬉しそうな顔を見れば思い切って反論することもできず、結局憮然とした表情で一言そう呟いただけだった。
元々騒がしくするのを好まない彼の性格からして、ブルマの提案は本音を言えば同意しかねるものであったし、孫一家を呼ぶとなれば必然的に来ることになるであろう男の存在も、歓迎するとは言いかねた。
とはいえ、それでトランクスが喜ぶことはもちろんわかっていたし、今年の誕生日は十歳というある意味節目の年でもある。
それだけに、二ヶ月後の誕生日にはせっかくだから賑やかに祝ってあげたいとブルマが考えるのも無理はなかった。
「たまにはいいじゃない。大丈夫よ、わたしたちが知ってるみんなだけ呼ぶから」という言葉と共に同意を求められれば、それ以上強硬に反対する余地のないベジータとしては、不承不承ながら頷くしかなかった。
騒ぎに加わるのは御免こうむりたかったが、そこは不器用な彼のこと、ブルマに「言っとくけど、修行に行くとか言い訳して逃げるのはダメよ〜? トランクスだってあんたにいて欲しいんだから」と釘を刺されれば、苦虫を噛み潰した顔で承諾するしかなかったのである。
仏頂面で黙々と食事を続けるベジータの様子を見つめ、ブルマは内心「ほんと、嘘がつけないんだから」と笑みを零さずにはいられなかった。
そして、その日の夜。
「──何だって?」
手にしていた本を閉じ、ベジータは怪訝そうな顔で隣の妻の顔を見返した。
「だから、プレゼントよ。トランクスの誕生日の」
「それがなぜそういう話になるんだ?」
「……もう」
相変わらず鈍い夫の反応に、ブルマは髪を束ねていたピンを外しながら溜め息をついた。
「あの子、学校の友達とか、悟天くんとかからそういう話聞いてるらしくて、前にちらっと言ってたことがあるのよ。一度、家族三人で旅行がしたいなって」
「……くだらん。そんなもの、別にわざわざ行くほどのものでもないだろう」
興味なさそうに返す彼の予想通りの答えに、呆れつつも「やっぱりね」と苦笑するブルマ。
「そりゃ、あんたはそう思うかもしれないけど。あの子だってまだ子供なんだから、そういう話聞いたら自分も行きたいと思うのは当然じゃない」
「──それなら、おまえがトランクスと二人で行ってくればいいことだろう」
にべもない台詞に、彼女は「あー、もう」ともどかしげに髪をかき上げて言った。
「わかってないわねえ。トランクスは、わたしと、あんたと。“三人で”一緒に行きたいって言ってるのよ? “大好きな”パパも一緒に旅行がしたいんだって。ほんと、鈍いんだから」
「……フン」
“大好きな”を強調して意見するブルマの視線からつい目を逸らし、そっぽを向くベジータ。
「でも、あの子って変なところで遠慮しちゃう部分があるから、なかなか面と向かって言えないのよね、そういうこと。あんたの性格知ってて言い出せないところもあるんでしょうけど……だから、こういう時くらい、喜ばせてあげてもいいんじゃない?」
「……面倒だ。第一、ガキの言うことをいちいち聞いてたらキリがないだろうが」
閉じていた本を開き、聞き流すようにぼそっと呟く夫の返事に、ブルマはもう一度溜め息をついた。
だが、即座に「断る」と断言はしない彼の態度に、まだ可能性はあると感じた彼女はそのまま続けた。
「ま、そういうわけだから。一応考えといてね? あんたも、トランクスにばかり気を遣わせてないで、たまにはお父さんらしいことしてあげなさいよ。パパからのプレゼントでもあるんだから、きっとすごく喜ぶわよ、あの子」
「…………ちっ」
本に目を向けたまま、小さく舌打ちするベジータの顔がどうなっているのかわかる気がして、ブルマは鏡に向かって髪をブラシで梳かしながら、思わず笑みを浮かべた。
きっと今頃、彼の心の中ではいろんな葛藤が繰り広げられているに違いない。
──けれど、彼がそうして自分たちのことを考えてくれるようになったことそのものが、何より彼女には嬉しかった。
それまでは、多分思っていても決して表には出さなかっただろう、彼なりの精一杯の気持ち。
あの戦い以来、彼はまた少し変わった。それまでは本当に深く隠されてなかなか見ることのできなかった彼の穏やかな面を、ふとした瞬間に感じることができるようになった。
自分やトランクスを見る時の眼差しや、普段何気なく交わす会話の中に見え隠れする、わかりにくくはあるけれど、それでも以前よりずっとはっきりと伝わってくる彼の不器用な優しさ。
そして何より、彼がそんなふうに今も自分たちの側にいてくれる日々があること。
もう二度と訪れることはなかったかもしれない、穏やかな日常。
二年前のあの戦いの中で起こった出来事や、彼の死を知らされた時のことを思うと、ブルマは今でも胸が締め付けられるような思いにとらわれる。
──でも、彼は帰ってきてくれた。わたしたちの元に。
いろんなことがあったけど、今はそれだけで十分だった。今、彼がここにいてくれる日々があること──ただそれだけでいいと思った。
見えない何かに──あえて言うなら、運命の神とでも呼べるものに──何度目かの密かな感謝をしつつ、今日も穏やかな夏の暮れの一日が、ゆっくりと過ぎていった。