<2>

 ひゅう、と冷たい風が吹き抜ける荒野の上空を、その風の流れを裂くように影が走った。
 まだわずかに夕焼けの名残りを残す西の空とは反対に、東側の空からはゆっくりと昇り始めた丸い月が、仄かな明かりで大地を静かに照らしている。
 淡い光が地面に落とす動かぬ岩山の影の間を、時々残像のような人影が二つ、疾風のように駆け抜けた。
 瞬間、静かな空間を破って火花が散り、空気を震わせる衝撃がビリビリと走った。
 空中で対峙した影は、しばらく睨み合うようにじりじりと競り合い、それぞれ矢のような拳や蹴りの応酬を繰り返し、拮抗して跳ね返った力の反動で双方とも後ろに下がった。
 震動の余韻を残す空を、一陣の風が巻く。
 月明かりの中に浮かび上がった二つの影は、互いの拳の感触を確かめ、視線を交わしてふっと笑った。
「どうしたカカロット、その程度か? 今日はきさまもこんなものじゃまだ暴れ足りんだろう?」
 見透かしたように笑うベジータの声に、悟空も「へへ」と笑みを返す。
「あぁ、まだまだだ。──おっし、オラも身体が温まってきたぞ。もいっちょいくぞ、ベジータ!」
「来い!」
 言うが早いか、二人は再び正面からぶつかり合う。
 唸りを上げる拳を見切り、鋭い突きを受け止め、重い蹴りをガードする。高速移動の先を読み、相手の意表を突いて返す刀を振り下ろす。
 まともに食らいこそしないものの、二人の顔や手足にはそれぞれの攻撃の余波で既にいくつかのかすり傷ができ、服には所々に破れ箇所を作っていた。
「だりゃーっ!!」
 何度目かの拳の連打を交わし、弾けるように離れたあと、悟空は短く気合を溜めて右手から数発の気弾を放った。
「──はあっ!!」
 対するベジータも、弧を描いて向かってくる気弾の群れに正面から対峙し、同じように気を溜めて気功派を撃ち返す。
 真っ向からぶつかり合った気の塊は、互いのエネルギーを弾けさせ、激しい衝撃と発光を散らして相殺される。
 火花と白煙が一瞬視界を遮り、それが晴れた時、悟空ははっと目を見張った。
 ベジータの姿がない。姿だけでなく、気も感じない。ほんの一瞬、目を離しただけなのに。
「ベジータ…!?」
 俄にしん、と静まった周囲を見回して呟く。
 と、
「!」
 突然背後にふっと現れた気を感じ、咄嗟に身を翻すが、反射的に繰り出した拳は何の抵抗もなく空を切った。
「え!?」
 呆気に取られる悟空の前で、一瞬だけニヤリと笑ったベジータの顔が浮かび、あっという間にかき消える。
「こっちだ!」
 頭上から聞こえた声に振り向く前に、悟空は後ろから飛んできた強烈な衝撃に吹っ飛ばされた。
「うわっ!!」
 防御が間に合わずに背中からまともに蹴りを食らい、その勢いで岩山の谷間に突っ込む。ガラガラと岩が崩れる音と震動に驚いた鳥の群れが、一斉に羽音を荒立てて飛び去った。


「おー、いてて。さっきのは結構効いたぞー? おめえ、本気でやんだもんなぁ」
 軽い打ち身を作った頭や腕をさすりながらぼやく悟空に、ベジータは「ふん」と気にも留めない顔をする。
「何言ってやがる。やるからには手加減はせんと言っただろう。大体、あんな仕掛けにあっさり引っかかるきさまが悪い」
「あー、ひでえなぁ。……そういや、さっきのあれって何だったんだ? 残像拳じゃねえよなぁ」
 先ほど自分が吹っ飛ばされた時の状況を思い出し、ベジータに視線を向ける。
「特にどうというものでもない。簡単なフェイントだ。自分の姿をイメージして作り出した気の塊に、相手の注意を一瞬だけ引きつける。その前に自分の気を消しておけば成功率もある程度上がるだろう。もっとも、実戦で使えるのはせいぜい一度に一回だろうがな」
「へー、なるほどなぁ。……すると、あれみたいなもんか? ほら、チビたちがやってたやつ。あの、気の塊が爆発する技があったろ」
「……ガキの技と一緒にするな。まあ、要領は似ていなくもないがな。いちいち体内で気を練るなんて手間のかかることはせん」
 辺り一帯を照らす月明かりの下、悟空は手頃な岩に腰を下ろし、ベジータは立ったまま、しばらく先ほどの手合わせの内容について互いの意見を交わしていた。
 楽しそうな顔の悟空に対し、ベジータは相変わらずの仏頂面だったが、それでも時折穏やかな笑みを浮かべて言葉を返す。
 ひとしきり手合わせしたあとには、こうして互いの動きや技など、気づいた点について話をすることが、いつの頃からか自然と二人の習慣のようになっていた。
 彼らがこうして満月の夜に組み手を交わすようになったのは、最近からというわけでもない。むしろ、今ではそう珍しくないことだった。
 尻尾を持たない今、満月を見ても互いに大猿化することはもちろんないが、それでも満月の光を目にすると、知らず身体の奥の血が騒いだ。その衝動は、やはり彼らだけが持つ生粋のサイヤ人としての、変えられない本能なのだろう。
 天気が悪く月がよく見えない日などはそうでもないが、今日のように鮮やかな満月の光を見ると、無性に身体を動かしたくなる。多少の波や個人差はあれどそれは互いに殆ど同じようで、修行先で偶然顔を合わせることも少なくなかった。
「──おっし、今日はこれくらいにしとくか。久しぶりに思いっきり身体動かしてすっきりしたしな」
 服の埃を払いながら「よっ」と立ち上がったところで、悟空の腹の虫が鳴いた。
「はは、オラの腹もメシの時間だって言ってら」
 からからと笑う悟空に、ベジータは呆れた視線を投げる。
「ベジータ、おめえどうすんだ? まだ続けんのか?」
「……いや。今日はここまでだ」
「そっか。んじゃ、オラも帰るわ。あんまり遅くなるとチチが怒るしな」
 んー、と背伸びをして腕を回し、悟空は空の月の位置を仰いだ。
「じゃ、またな!」
「──ああ」
 悟空が片手を上げて挨拶し、ベジータがそれに短く返すと、二人はそれぞれパオズ山と西の都へ向かって飛び立った。
 再び静寂の戻った荒野に、砂塵が乾いた音を立てて舞う。
 ひと気の消えたあと、そこには少しばかり形の変わった岩山の影と、上空に昇った満月の静かな光だけが残され、淡い月が変わらずに大地を照らしていた。

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