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夕食の後、片付けを済ませたブルマは、ベジータとトランクスがいつものようにリビングでくつろいでいる頃を見計らい、コーヒーを片手に持って自分もソファに腰を下ろしながら話を切り出した。
「……ねえ、重力室の調子なんだけどさ。ちょっと色々点検したい点も出てきたから、一度全体的なメンテナンスしたほうがいいと思うの。しばらく使えなくなるかもしれないけど、大丈夫よね?」
コーヒーを口に運びながら、世間話をするように何気なく尋ねてみる。
一瞬、本を開いていたベジータの視線がこちらにちらりと向き、彼女の目を見つめた。
「え、何? 重力室使えなくなっちゃうの?」
テレビを見ていたトランクスが、ブルマの提案に振り向いて聞き返してくる。
「ええ。このところ動力システムの調子までチェックしてる時間がなかったから、念のためにね」
「しばらくって、どれくらい?」
「そうね、もしかしたら一ヶ月くらいはかかるかもしれないわ」
「えー、一ヶ月も?」
トランクスが驚いたように目を瞬く。
それは無理もない。彼が重力室に入るようになってから、重力室がそこまで長期間の稼動停止をしたことはなかったからだ。
もっとも、彼は知らないが、かつてベジータが無茶な特訓を繰り返した結果、重力室が全半壊を繰り返していた頃は別に珍しくもないことではあったが。
「……いいわよね? ベジータ」
ブルマも彼の視線を受け止め、じっと見つめ返す。その彼女の瞳が伝えんとしていることを察し、ふっと視線を外し、言う。
「構わんさ。トレーニングなら外でもできるからな」
ベジータならてっきり「早めに直しておけ」とでも返すかと思っていたトランクスは、思いがけない父の言葉に「え」と意外そうな顔をした。
勿論、メンテナンスに一ヶ月もの時間が必要、というのは嘘だ。目立った故障があるわけでもないし、普通の点検なら半日もあれば終わる。
だが、そうでも言わない限り、重力室を使わせずに済ませることはできない。そう考えたブルマの、精一杯の気遣いをこめた嘘だった。
当然、ベジータにその彼女の真意がわからないはずがない。彼も彼女の願いを汲み取り、トランクスにも自然に納得できるよう、肯定してみせることで応えたのだった。
「特に差し迫った必要性があるわけでもないしな。……それはそうと、おまえの仕事の都合はどうなんだ。休みは取れそうなのか?」
急に別の話題を振られ、ブルマはしばし目を瞬いたが、彼の質問の意味を解すると「え、ええ」と慌てて思い出したように言葉を継いだ。
「大丈夫よ。今なら別に急ぎの仕事もないし、来週なら少しまとまった休みが取れると思うわ」
「──そうか。なら問題ないな」
「え、なになに? 休みって、ママが家にいるの?」
両親の会話に興味を持ったトランクスが、テレビのリモコンを放り出してソファに身を乗り出してきた。
「……ううん、違うわ。仕事は休めるけど、家にいるわけじゃないの」
「えー、じゃあどこか出かけるの? どこに?」
トランクスの興味津々な顔に、ブルマはちらりとベジータを見る。彼も黙って視線を寄越しただけだったが、その目が言外に「構わん」と言っているのを見て取り、ブルマは息子に向き直った。
「多分、四、五日くらいになると思うけど。わたしだけじゃないわ、みんなで行くのよ、トランクス。あんたも、それから……パパも一緒にね」
「……え?」
思わずきょとんとするトランクスの顔に、ブルマは小さく苦笑した。その頭に手を置き、撫でながら続ける。
「三人で一緒に旅行したいって、前に言ってたでしょ? 少し遅れるけれど、今年の誕生日プレゼントよ。パパとママからの」
目をぱちぱち瞬いてブルマの話を聞いていたトランクスは、やがて彼女の話の意味を理解すると、最初信じられないという風に目を見開き、その後みるみる表情が満面笑み崩れる。
「それ、ほんと!? ママ! ほんとにパパもママも一緒に行けるの!?」
目を輝かせて確かめるように自分を見上げる息子の心底嬉しそうな顔に、ブルマの胸がちくりと痛んだが、それを何とか表情に出さず、微笑み返す。
「ええ、本当よ」
「でも、オレ学校があるんだよ? いいの?」
「少しくらいなら休んだって構わないわよ。学校にはママから言っておくから」
「やったあ!!」
今度こそそれが本当のことだと確信できたトランクスは、嬉しさのあまり天井に届きそうな勢いで飛び上がった。
「ありがとう、パパ、ママ! ねえねえ、いつ行くの? どこに行くの?」
「多分、来週になると思うわ。場所は……まだ秘密。だけど、三人でゆっくり過ごすのも、たまにはいいんじゃない?」
興奮のあまりうずうずと足踏みしながら矢継ぎ早に尋ねてくる息子に、ブルマの表情も自然と柔らかくなる。
実際、場所についてはブルマもまだ知らなかった。
ベジータがそのことについて彼女に伝えた時も、「場所は決めなくていい。ただ、準備だけしておけ」としか言わなかったからだ。
彼が何を考えているのかはわからないけれど、彼女は彼の意思を尊重し、そのまま伝えることにした。
「うん、パパとママとならどこでもいいや! やったぁ、ありがとう、パパ!」
ブルマを見上げて大きく頷くと、トランクスは今度はベジータの座るソファへ走り寄り、飛びつかんばかりに抱きつく。
「お、おいっ」
「ほんとに一緒に行けるんだね、パパ! すごいや、オレ……すっごくパパと行きたかったんだ。けど……」
嬉しさのあまり何をどう言ったらいいのかわからないらしいトランクスの様子に、ベジータもふっと小さく笑みを浮かべ、髪をくしゃくしゃと撫ぜた。
「その代わり、場所については文句はなしだ。行き先がどこだろうと、な」
「うん! どこでもいいよ、パパが連れてってくれるなら!」
きっと、自分が家族で旅行に行きたがっていたことを話したのはブルマだろう。だけど、まさか本当にベジータが承諾してくれるとは思わなかったトランクスは、それだけでも十分嬉しかった。
「うー、なんだか待ちきれないや! オレ、悟天に電話して自慢してくる!」
「なに? あ、おい!」
眉を上げたベジータが止める間もあらばこそ、子供らしい得意げな笑顔を満面に浮かべたトランクスは、立ち上がるとそのままリビングを飛び出していってしまった。
途端に静かになったリビングで、二人はしばらく呆気に取られていたが、やや渋面を作ったベジータが徐に口を開いた。
「ちっ、余計なことを……まったく、単純なもんだな」
「いいじゃないの。無理もないわよ、こういうこと今までなかったんだから……嬉しくてしょうがないのよ」
自分が関わることを他人に知られることをよしとしない彼からしてみれば、孫一家の人間に知られるのは好ましくないのだろう。
それでも、呆れたように呟く夫の表情は、言葉ほどの棘はなく、どこか穏やかで。
それが余計に、ブルマの胸をちくりと刺す。
初めての、三人一緒の家族旅行。
普段の彼ならば、決して自らそれを口にすることはなかっただろう言葉。
それだけに、彼のほうからそのことを言わせた理由を思うと、ブルマは喉の奥に痛みを覚えずにはいられなかった。