<11>

「誕生日おめでとう、トランクス!」
「おめでとう」
「えへへ……ありがとう、みんな」
 クラッカーが弾ける音と共に次々と祝いの言葉をかけられ、トランクスは少し照れ臭そうな様子で嬉しそうに言った。
 秋晴れの好天にも恵まれた日曜日、カプセルコーポではトランクスの十歳の誕生日を祝うパーティーが開かれていた。
 久しぶりに気の知れた仲間たちが集まった中、広い応接間に設けられた祝いの席には、ブルマの母の力作料理が所狭しと並べられ、皆の表情を綻ばせる。
 仲間からそれぞれに工夫を凝らしたプレゼントを贈られ、顔を輝かせるトランクスの傍らで、悟天が「いいなあ、トランクスくん」と羨ましそうな表情を覗かせた。
「心配すんな、悟天。来年のおめえの誕生日には、負けねえくらいうーんと賑やかに祝ってやるからな。な、悟空さ」
「ああ、勿論だ」
「ほんと? うわーい! ありがとうお父さん、お母さん!」
 チチが笑って頭を撫でると、悟天はたちまち目を輝かせて両親を見上げる。その子供らしい無邪気な笑顔に、悟空とチチは顔を見合わせて微笑んだ。
「そういやあ、来年は悟天も十歳かぁ。早いもんだな。少し前まで、まだこーんな小っさい赤ん坊だったのになぁ」
 クリリンがしみじみと呟くと、皆が同調するように感慨深げに二人を見つめる。
「何だよクリリンさん、子供扱いして」
 幼い顔を少しばかりむっと膨らませるトランクスに、実際まだ子供じゃないか、と苦笑するが口には出さないでおく。
「何だかんだ言っても、子供の成長は早いもんだべ。なあ、ブルマさ」
「……え? え、ええ。……ほんと、そうね」
 チチの声にはっと我に返ったかのように反応するブルマに、チチが「? どうかしただか?」と怪訝そうな顔をする。
「ううん。何でもないわ、ごめんなさい」
 知らず物思いにふけっていた自分に気づき、慌てて平常を装う。
 いけない、この日に沈んだ顔をしていては。トランクスの笑顔を、曇らせるようなことがあってはいけない。──せめて、今日のこの日だけは。
 胸の痛みをぐっと飲み込み、唇を引き締め、ブルマは精一杯の笑顔を作って仲間たちの輪の中に戻っていった。


「それでさぁ、今度パパとママが誕生日プレゼントにって、旅行に連れてってくれるんだ! もうオレすっごく楽しみでさ!」
「ベジータも? へぇー、よかったじゃないか」
「うん!」
 待ちきれないといった様子ではしゃぐトランクスの台詞に、皆が少しばかりの驚きの表情を見せつつ微笑み返す。
「ふーん、ベジータが一緒に、ねぇ……。やっぱ変わったなぁ、あいつも」
 かつての彼を知っている者ならば誰もが抱くであろう感想を呟きつつ、クリリンやヤムチャが部屋の隅に視線を巡らせる。
 積み上げた皿の横で沈黙を守って佇んでいた話題の人物は、その会話が聞こえていたのか、自分に向けられた興味深そうな目に、じろりと鋭い眼光を返す。
 薮蛇だった、と慌てて視線を逸らして回れ右をする二人の後ろで、壁に寄りかかっていたピッコロが、ふっと小さく笑みを浮かべた。
 ベジータの性格からすればただの照れ隠しだろう。そもそも自分が家族とそういった行動を共にするということ自体、彼にしてみれば最も他人には知られたくない事柄の一つだろうから。
 自分がかつて目標とし、目指していた道とはまた別の生き方。それまでの自分とはまったく相容れることのない、静かな、生温いものでしかなかったはずの日常。
 そしていつしかかけがえのない存在となっていた、守るべきもの。
 受け入れることに悩み、認めることを拒んだ時もあっただろう。だが、あの戦い以来、きっと彼も自分自身の中で思ったはずだ。そんな日々もまた、決して悪くはないものであることを。
 そんなことに何となく思いを馳せ、何気なしに当の本人を視界の端で見やり──ふと、ピッコロはそこで妙な感覚を覚えた。
 感情をあまり見せない憮然とした顔や、彼が滲ませる、なかなか近くには寄り付きがたい雰囲気はいつものことだが。
 その時は、それだけではない、どこか柔らかな波を感じる気がした。
 そういえば、元来こういった集まりにベジータが顔を見せること自体、あまりなかったように思う。
 いつもならさっさと喧騒の中から退散してベランダか屋上にでもいるか、外へ出ていることが多かった彼が、騒ぎの輪の中に加わりこそしないものの、こうして最初からずっと部屋の片隅にいるのは珍しいことのように思えた。
 そして。
 ベジータが、トランクスを見つめる眼差しの中にふと覗かせる、穏やかな色。
 いつもと変わらないようで、しかしどこか深い感情を湛えた、真っすぐな視線──。
 不意に、既視感が脳裏をよぎった。
 いつだったか、あいつの似たような表情を見たことがあるような気がする。
 あれは、確か────
「ピッコロさん? どうかしたんですか?」
 だが、記憶の糸を辿ろうとしていた思考は、不意に横からかけられた声によって中断された。
 見れば、悟飯が怪訝そうな目で自分の隣に立っているのに気づき、ピッコロは「……いや」と意識を現実に戻した。
「大丈夫ですか? 何だか考えこんでるみたいでしたけど」
「いや、何でもない。気にするな」
「そうですか? なら、いいんですけど。……あ、そうそう。これ、このあいだパオズ山の近くで見つけた滝の水なんですけど、とても美味しかったんですよ。それで、ピッコロさんとデンデにもぜひ持っていってほしくて」
 そう言って、上着のポケットからカプセルを取り出す。
「結構重かったから、カプセルにして持ってきちゃったんですけど」
「……ああ。いつもすまんな」
 水しか飲まないナメック星人の彼らに対する弟子の心遣いに、ピッコロはありがたくそれを受け取る。
 いいえ、と悟飯は屈託のない笑顔を向け、もし気に入ったならまた届けますよ、と申し出た。
「悪いな。……最近の勉強は進んでるのか?」
「え? え、ええ。今のところは順調に……あ、そうだ。今度また古代史の課題があるので、わからないことがあったら聞きに行っていいですか?」
「ああ、構わんぞ」
 悟飯は学者を目指している手前、来年受験を控えている大学のレベルもそれなりのものだ。元々学業に関しては優秀なほうだが、彼が興味をもった地球の歴史、または天文学などについて深い見識が知りたくなった時は、ピッコロの元を訪れることも多かった。かつては地球の神だった人物の知識や、天界から宇宙に関わる諸々の情報は、普通の地球人では当然持ち得ない貴重な話だ。
 ピッコロも、愛弟子の熱心な希望とあれば断る理由もなく、地球のレベルで話しても差し支えない情報はその都度語って聞かせていた。
 文武共に秀でた弟子の成長を見守るのは、彼にとっても楽しみの一つだった。
 もう「武」の部分で教えてやれることは殆どないが、望まぬ戦いのために必要な力など、悟飯には本来不似合いなものだ。
 彼が必要としているものを教えることができるなら、それに越したことはないだろう。
 普段の生活や勉学のことを話す悟飯の楽しそうな顔に、ピッコロは穏やかな笑みを浮かべつつ、そんなことを思うのだった。


「よ、ベジータ。……あれ、おめえもう食わねえんか?」
 テーブルの上の料理を片っ端から腹に詰め込み、ひと際高い皿の山を築いた後に、悟空は窓際のテーブルの傍で水のボトルを口にしていたベジータに声をかけた。
 見れば、彼もそれなりの量を食べてはいるが、いつもに比べると少々そのペースは遅いようだ。
 ベジータは呆れたように悟空を睨み、「きさまと一緒にするな」と憮然とした返事を投げる。
「いつまでも節操なく食ってられるか。まったく、少しは程度ってものを考えろ」
「だってよ、おめえんちに来ると色々変わったもんが食えっからさ」
 からからと笑う悟空に、それ以上何かを言う気も失せたといった顔で溜め息をつくベジータ。
「ところでよ。最近、いつも重力室で修行してんのか? おめえ」
 不意に問われた言葉に、彼の眉がわずかに上がる。
「……それがどうした」
「いや、こないだの満月んときも外で修行してる様子がなかったからさ。それに、ここんとこ外でおめえの気を感じることが少なかったし、珍しいなと思って」
「……オレがいつどこでトレーニングしようとオレの勝手だろう。いちいちおまえに関係あるのか」
「いや、そういうわけじゃねえけどよ」
 取りつく島のなさそうな彼の返答に、悟空は次の言葉に困った様子で頭を掻いた。
 ベジータは少しの間不機嫌そうに沈黙していたが、俄に小さく息をつき、口を開いた。
「この間はトランクスの相手をしていただけだ。別に大した理由などない」
「……そっか。いや、まあ、それならいんだけどさ」
 彼がそう言うならそうなんだろう、と悟空はそれ以上深く考えるのは止めることにした。
 これ以上何かを聞けば更に彼の機嫌を曲げかねないし、せっかくの和やかな祝いの日に、わざわざ騒ぎの種を作ることもないだろう。
 と、
「あの、ベジータさーん」
 自分を呼ぶ声にベジータは顔を上げ、悟空も声の方向を見やる。
 見れば、悟飯がカメラを片手に二人の傍へ歩み寄ってくる。
「せっかくだから、ブルマさんとトランクスくんと一緒に記念写真撮りませんか? トランクスくんも撮りたいって言ってますし」
「写真かぁ。いいじゃねえか、撮ってこいよ」
「……」
 悟空の至極当然な勧めに対し、ベジータは反射的に眉間に皺を寄せた。
 ベジータの写真嫌いは、家族を始めとして仲間内では全員が知るところだ。
 彼にしてみれば、そもそも笑って写真に収まるなどということ自体が、体質に合わなさ過ぎるのだろう。他人が近くにいる状況となれば、尚更だ。
 ベジータの性格を考えればそれも当然のことなので、今まで誰も無理に勧めようとはしなかったのだが。
「ねーパパ、一緒に撮ろうよ〜」
 傍へ走ってきたトランクスが、ベジータの服の裾を引っ張って見上げる。
 今まで、家族三人できちんとした記念写真を一緒に写真を撮ったことはまだ一度もない。孫一家の自宅へ遊びに来ては、アルバムを見て「いいなぁ」と呟いていたこともある。子供の心境からすれば、ごく当たり前の望みだろう。
「オレ、パパとママと一緒に撮りたい。駄目?」
 それでもまだ渋面のままのベジータに、悟空が「いいじゃねえか、撮ってやれよ」と言うが「きさまは黙ってろ」と睨まれる。
 やっぱり駄目かぁ、と肩を落としかけたトランクスだったが。
「……仕方ないな。一度だけだぞ」
 頭上から降ってきた言葉に、え、と目を輝かせて父の顔を見上げる。
「いいの? やったぁ! ねえ、ママ! パパも一緒に写真撮るって!」
「え? ちょ、ちょっと、急に引っ張らないでってば」
 トランクスははしゃぎながらブルマの傍へ走っていき、彼女の手を引いて戻ってくる。
 いつもなら「オレは遠慮する」と真っ先に断るのが常であっただけに、彼の心中を思うと、ブルマの胸がまたちくりと痛み、目頭が熱くなった。
 いけない、と瞼を擦り、唇を引き締める。ここで泣きそうな顔をするわけにはいかない。
「えっと、じゃあ、そこでいいですか?」
 カメラを持った悟飯が三人から少し距離を取り、光の加減を見ながら声をかけた。
「うん!」
 両親の間に立ったトランクスが、いっぱいの笑顔でVサインを見せるのを、皆が微笑ましそうに見つめる。
「……ちょっと待て」
「え? ……わっ……!」
 そこで急にふわりと足が地面から離れたかと思うと、次の瞬間彼は逞しい感触の上に座っていた。
 ベジータが自ら肩の上に乗せてくれたのだとわかると、トランクスは思わず目を瞬き、あまりにも意外な父の行動に驚いたが、それはすぐに嬉しそうな満面の笑みへと変わる。
 トランクスだけではなく、当然ながらその場にいる全員が、ベジータの思いもかけない行動に、驚きを隠せない様子でわずかに目を見張った。
「いいよ、悟飯さん!」
 トランクスは嬉しくてしょうがないといった顔で、父の肩につかまりながら悟飯に手を振る。
「え、ええ。じゃあ、撮りますよー。いいですか?」
「うん!」
 再びトランクスがカメラに向かってサインを出し、悟飯が少しの間を置いてシャッターを切った。


 そして、その日の彼らの──誰が見ても和やかな一つの家族の姿が、一枚の写真の中に収められた。
 その瞬間、ベジータがほんの少し、本当にその一瞬だけ浮かべた、穏やかな笑みと共に。


 彼が見せた表情の変化は、仲間たちに少しの驚きと意外さと、けれどそれ以上に彼に対する新たな感情をもって受け入れられた。
 「やっぱり、あいつも変わったな」──皆それぞれに、同じ感慨を抱きつつ。
 彼が初めて人前で見せた、父親らしい姿。家族を見つめる、柔らかな眼差し。
 その静かな笑顔の奥に隠された、本当の意味を──その時はまだ誰も、気づくことなく。

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