ブルマとトランクスが、孫一家の自宅を訪ねてから二日後。
「悟空さー! 悟空さ、いるだか?」
ドアの向こうから聞こえてきたチチの声に、悟空は顔を上げた。
「おう、ここにいるぞー」
着替えた道着の帯を締めながらリビングに出てきた悟空は、台所に向かって声を出す。
「──あ、丁度よかっただ。悟空さ、修行に行く前に頼みがあるだ。これ、ブルマさの家に持ってってけれ」
大きな風呂敷包みを抱えて台所から出てきたチチは、悟空にそれを差し出して言った。
「何だ、これ? ……結構重てえな」
思いのほか重みのある包みを受け取り、それが仄かに暖かいことに気づいた悟空は、「何が入ってんだ?」と彼女に訊いた。
「ブルマさにこの間のお礼だべ。おらの作った中華まんと、山で採れた果物とか木の実も入れておいただ。ブルマさも美味しいって言ってくれてただしな」
「ああ、そうか。チチが作ったのはうめえからなぁ。ブルマもきっと喜ぶぞ」
「入るだけは詰めておいたから、みんなで分けて食べてけれ、って伝えてほしいだ」
夫の素直な賛辞に照れくさそうな顔をしつつ、チチが言う。
「ああ。んじゃ、ちょっくら行ってくっか」
「……あ、待ってけれ。ブルマさが、当分瞬間移動で来るのはやめてほしいって言ってただぞ」
「え? ブルマがか?」
「んだ」
彼女は頷き、少し思案顔になる。
「やっぱり、いきなり来られたら驚くに決まってるだよ。何だか真剣な顔して頼んでたから、やめたほうがいいだ」
「ふーん……まあ、ブルマがそう言ってたんなら仕方ねえか。んじゃ、行ってくる」
「飛行機には気ぃつけるだぞー」
「ああ」
妻の声を背に外に出てきた悟空は、空を見上げると、何となしに首を傾げた。
「今までは別に気にしなかったのになぁ。──ま、いっか。近くまで行ったら気を探って行けばいいや」
それまでは大抵瞬間移動を使って訪問することが多かったが、それについてもブルマは困った顔で一言二言文句を言うことはあっても、きつく咎めるようなことはしなかった。もっとも、ベジータの方は、そのたびにあからさまな不快感を示していたが。
(……そういえば、チチも変なこと訊かれたって言ってたしな)
二日前の妻との会話を思い出し、ふと考え込む。
何か、そのことと関係あるのだろうか。
(ま、直接訊いてみればいいか)
ここのところ気になっていたことを訊いてみる、いい機会かもしれない。
ひとまず目下の用を済ませに行くことにし、悟空はパオズ山から西の都へ向かって飛び立った。
瞬間移動よりは時間がかかるとはいっても、悟空の飛行スピードからすれば大した距離ではないので、特に苦になるわけでもない。
包みを落とさないよう速度を加減しながら目的地を目指して飛んでいるうち、パオズ山を出発してから程なくして、視線の先に大きな街並みが見えてきた。
「ふえー、相変わらず賑やかだよなぁ。えーっと、ブルマんちは……っと」
密集した住宅街やビル郡を眼下に眺めつつ、気を探ろうと精神を少し集中させる。が、人の多い都の上空ということもあり、なかなか目的の気を掴めない。
「うーん、やっぱ人が多すぎてわかりづれえなぁ。あいつの気なら探しやすいんだけど……いねえのかな」
ブルマの家を訪ねる時はいつもそうしているように、一番探しやすい相手であるベジータの気を探ってみたが、近くにいないのか、今は感じ取れない。
「しょうがねえなぁ。ブルマかトランクスがいればいいんだけど……ん?」
気を探りながらゆっくりと飛んでいるうちに、ふと眼下の視界に見覚えのある大きなドーム型の屋根が飛び込んできた。
「お、あったあった! あれだ」
目的の場所を見つけ、悟空はホッと安堵したように眉を上げると、真っすぐ地上に向かって降下していった。
広い敷地の中の適当な場所に足を着けると、顔を上げて周りを見渡す。
「えーっと、どこに行けばいいんかな。ここ広えからいつも迷うんだよなぁ」
きょろきょろと辺りを見回し、とりあえず手近な建物の中に入ってみようと足を踏み出した、その時。
「──父さん! ねえ、ベジータ見なかった!?」
不意に聞こえてきた覚えのある声に、悟空が「ん?」と視線を巡らせる。
「ベジータくんかい? いや、見とらんよ。重力室で修行でもしとるんじゃないのかい」
「そんなわけ──ううん、いないのよ、どこにも。もし見かけたら、すぐにあたしに知らせて!」
「ああ、わかったよ。それにしても、何をそんなに急いどるんじゃ?」
「──ちょっと、ね。とにかく、頼んだわよ!」
庭園の裏手から聞こえてきたそれが、ブルマとその父のものとおぼしき会話であることは察しがついた。
だが、いつもながらのんびりした口調の父親に対し、ブルマの言葉はどこか落ち着きがなく、何かに焦っているように感じた。
短い会話のあと、ブルマの足音が建物の中へ入っていくのを聞き、悟空はどうしたものかとしばし迷ったが、彼自身何か引っかかるものを感じたため、そのまま家の方へと歩を向けた。
ここは外も広いが家の中もまた広い。ブルマが入っていったであろう建物の中へ足を踏み入れたものの、いくつも続く階段と廊下に、悟空はすぐに行き詰まってしまった。
「参ったなぁ、わかんなくなっちまったぞ。やっぱさっき、声出して呼んでみりゃよかったかな。確かこっちの家ん中だと思ったんだけど……」
頭をポリポリかきながら困った顔で周りを見回した彼は、少し考えたあと家の中の気を探り、ブルマのものらしき小さい気を見つけると「あ、あっちか」と二階に上がる階段を上っていった。
階段を上がると、廊下の先にある二つ並んだドアのうち一つの隙間から明かりが洩れ、そこから小さく声がしていた。
声はおそらくブルマのものだ。悟空がホッとしてその部屋へ足を向け、ドアの横まで来た、その時だった。
「どこ行ったのよ、あいつ……こんな時に……! さっきも具合悪そうにしてたくせに、そんな状態で……!」
耳をかすめた、切羽詰ったようなブルマの声に、思わず彼の足が止まる。
「こんな時まで、意地張ってる場合じゃないわよ……! もう、いつどこで強い発作が起きるかわからないのに!」
──え?
いつになく真剣な声色と、聞き慣れない言葉。それらが意味することを図りかね、悟空はその場に立ち尽くした。
何かただごとではない空気がそこにあるのは明らかで、いかに彼が鈍い性格とはいえ、何も感じないわけがなかった。
今来てはまずかっただろうか。
声をかけるタイミングを失い、どうしたものかと二の足を踏んでいた悟空の目の前で、いきなり部屋のドアが開かれた。
「!!!」
突然のことに、彼も相手もその場で一瞬固まる。
「あ……」
青い瞳に真っすぐに見つめられ、悟空ははっと我に返る。
「……よ、よう、ブルマ。久しぶり……ってほどでもねえけど……えーっと、その」
「孫くん……」
「あ、いや、ほら。今日はチチに頼まれてさ、これ持ってきたんだ」
ここへ来た本来の目的を思い出し、慌てて包みを差し出す。
「チチがみんなで分けて食べてくれってさ。ほら」
大きな風呂敷包みを差し出され、ブルマはしばし目を瞬いていたが、悟空のしどろもどろな口調と態度に、ふと肩の力が抜けたように笑った。
「……あぁ……ありがと。わざわざ届けに来てくれたんだ」
「あ、ああ。おめえが瞬間移動で来んのはやめてくれって言ってたからって……あ、いや」
しまった、という顔で悟空は言葉を切った。
さっきのブルマの声音や今の様子から、自分が触れないほうがいい話であろうことは、彼にも何となくだが伝わっていた。
だが、そこは隠し事の苦手な悟空である。つい気になっていることが口を突いて出てしまうのはどうしようもなかった。
ブルマはふっと小さく微笑み、徐に口を開いた。
「今の話、聞いてたのね」
「え、あ、いや。立ち聞きするつもりはなかったんだけどよ……」
更に慌てたように手を振る悟空に小さく首を振り、そこでブルマはハッと顔を上げた。
「ねえ、孫くん。あんたなら気を探れるでしょ? ベジータが今、どこにいるかわかんない?」
「え?」
「お願い、あいつが今どこにいるか……探して」
「……あ、ああ……わかった」
戸惑いつつも、ただならぬ彼女の面差しに頷き、悟空は額に指を当て、精神を集中させた。
都の中だと人が多いために一人の人間の気は捉えにくいが、ベジータなら少し注意して探れば通常すぐにわかるはずだった。
だが、いくら神経の糸を張り巡らせても、どこにも彼の気を感じ取ることができず、悟空は眉を寄せた。
普通なら、意識して探せばすぐに見つかるはずだ。──彼が、意図的に気配を消してでもいない限りは。
しかし、現に今、ベジータの気はどこにも感じられなかった。まるで、彼が自ら居場所を隠してでもいるように。
「──ダメだ、ブルマ。あいつ、自分で気を消してるみたいで、どこにいるかわかんねえよ」
縋るような目で悟空を見上げていたブルマは、彼の言葉に肩を落とし、「そう」と一言小さく呟いた。
彼女の様子と先刻聞きとがめた話の断片と、今までずっと気にかかっていたことが重なり、悟空はためらいながらも意を決したように口を開いた。
「……なあ、ブルマ。ベジータに……何かあったんか?」
その問いに、ブルマの顔が上がる。遠慮がちながらも真剣な目が、まっすぐに彼女を見返していた。
ブルマは少しの間無言になり、どこか迷っている表情を見せていたが、はっと何かを思い出したかのような光を目に映すと、先ほどよりは落ち着いた口調で切り出した。
「孫くん、少し時間ある? 話したいことがあるの」
「え? ……あ、ああ。オラは別に構わねえけど」
「そう、よかった。……じゃ、そこの突き当たりの部屋で少し待っててくれる? これ、置いてくるわね」
包みを受け取り、廊下の奥へ走っていくブルマの後姿を見ながら、悟空はそれまで漠然と感じていた不穏な空気が、次第にはっきりと胸中を覆い始めたことを、認めずにはいられなかった。