<3>

 カプセルコーポの朝は早い。ブルマはいつものようにベッドから起き出した後、寝ぼけ眼を擦りつつ大きく欠伸をし、リビングへ入ってきた。
 ぺたぺたとまだ緩慢な歩みでスリッパを鳴らしながら眠気覚ましのコーヒーを入れ、ついでに朝食の準備をするよう作業ロボットに指示を出す。
 この時間ならまだトランクスは寝ているはずだが、ベジータは今朝彼女が起きた時には既にベッドにいなかった。きっと早朝トレーニングをするために外に出ているのだろう。
 毎日ではなかったが、大体の間隔を置いて彼が外に出るサイクルは決まっていた。その時は殆ど夜が明けきらないうちにいなくなり、ひとしきり身体を動かした後、朝食の前までに戻ってくるのが常だった。
 もっとも、そうでない時も彼が自分より後に起きることは殆どないので、ブルマは気にせずいつものように朝食の用意をしながら身支度を整え、コーヒーを飲んで一息つくと、時計にちらりと目をやってトランクスを起こしに行った。
 だが、その日は時間が経ってもベジータはなかなか戻って来なかった。
「ねえママ、パパは?」
 朝食を前にしたトランクスが、普段なら隣の席にいるはずの父の姿がないため、怪訝な顔で尋ねてくる。
「さあ……多分まだ朝のトレーニングの途中なんじゃないの? それより、あんたは早くご飯食べちゃいなさい。学校遅れるわよ」
「はーい」
 少々不服そうな顔をしつつ、時計に目をやったトランクスはそれ以上待つのを諦め、皿の上のパンを手に取った。
 父譲りの食欲を見せる息子の食べっぷりに目を細めつつ、ブルマはふと考えた。
(……そういえば、ここのところ、朝に戻ってくる時間が少し遅いわよね。……何かやってるのかしら)
 一週間ほど前から、いつもなら朝食前にシャワーを浴びるくらいの余裕を持って戻ってくることが殆どだった彼の帰りが、やや遅くなっていたのを思い出す。
 別にどこか変わったことがあるというわけでもない、ただそれだけのことだったが、普段の生活スタイルが計ったようにきっちりしている彼のことなだけに、少し気にかかった。
 とはいえ、彼が何かを思いついたら何も言わずに実行に移すことも珍しいことではない。
(……ま、後で聞けばいいか)
 ブルマはそれ以上深く考えることを止め、自分も朝食のスープに手をつけた。


 ──その頃。
 西の都に程近い河川沿いの平原の隅で、ベジータは一人、木の幹にもたれて休息を取っていた。
 辺りは柔らかな朝陽の光に包まれ、朝露の涼しげな匂いが木陰の間をうっすらと漂っている。
 瞼を閉じ、しばらく呼吸を整えるように動かなかった彼は、最後にひとつ大きく息を吐いて目を開けた。
 そして、徐に自分の掌をじっと見つめる。
 ──もう、十日くらいになるだろうか。この、奇妙な違和感を覚え始めてから。
 開いた掌を軽く握り、彼は思考を巡らせる。
 少し前から感じるようになった、トレーニング中やその後に表れる、妙な呼吸の乱れと倦怠感。
 最初はどうということのない、単なる気のせいか一時的なものかと思っていた。
 だが、時間が経ってもそれは消える気配を見せず、かといってそれ以上になる様子もなく、ただ、やんわりと彼にまとわりついていた。
 動きに支障をきたすほどではなかったし、少し休めばそれは元に戻る程度のごく軽いものだったが、今までどんな激しいトレーニングを繰り返してもこのような感覚は覚えがないだけに、何かが彼の神経に引っかかっていた。
 だが、それ以上のことがわかるわけでもなく、結局は静観しているしかなかったのだが。
(……)
 わからない以上、考えても仕方のないことだ、と彼はそこで思考を切り上げ、もう一度深呼吸を繰り返す。
 もう違和感は感じないことを確かめた後、立ち上がって埃を払うと、踵を返してふわりと浮かび上がり、カプセルコーポのある方向へ向かって飛び去った。


「あら、お帰り。今日はちょっと遅かったわね。トランクスもう学校行っちゃったわよ」
 自分の分の食器を下げていたブルマは、リビングに顔を出したベジータを見て言った。
「朝ご飯そこにあるから、早く食べてね。でないと片付かないんだから。わたしももう少ししたら研究室行くし」
「……ああ」
 短く返事を返し、いつものようにテーブルの定位置に腰を下ろすと、やや冷めた料理を気にすることもなく、少し遅めの朝食を取り始めた。
 そんな彼の様子をうかがいながら、ブルマは熱いティーカップを持って向かいに座り、一口お茶を啜った後、何気ない口調で尋ねてみた。
「そういえば、最近朝に帰ってくる時間が少し遅いんじゃない? 何か変わったことでもあった?」
 その問いかけに、一瞬手を止めかけたベジータだったが、それをおくびにも出さず、表情を変えないまま言った。
「……別に、何でもない。ちょっとトレーニングの場所を変えただけだ」
「ふーん。なら、いいんだけど。あんたが朝ご飯に遅れるなんて珍しいから」
 ブルマがクスクス笑うのに、ベジータは少しムッとした表情を返したが、特にそれ以上のことを言い足すわけでもなく、食事に意識を戻した。
 返ってきたのはいつも通りの素っ気ない返事で、でもそんな言葉がいつも通りの彼なのだということを示している。
 それに少し安心し、ブルマはそれ以上詮索するのを止め、「相変わらず思い立ったら何も言わないで実行なんだから。ま、律儀に言うのも想像できないけどね」と心の中で呟き、小さく笑みを浮かべてお茶を口に運んだ。

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