淡々と規則正しくリズムを刻む時計の音以外は、しんと静寂が下りる一室に、不意に甲高い電子音が鳴り響いた。
連なる文字列を目で追うことに集中していた彼は、その作業を中断されて少々不機嫌顔になりながら、徐に机の上の通話モニターのスイッチを押した。
「何だ」
『あ、やっぱりそこだったのね。ねえ、ちょっと見てみてほしいところがあるの。悪いけど、ラボまで来てくれない?』
「……どっちのだ」
『南棟一階の内側のほうよ。大丈夫、すぐ済むと思うから』
いかにも面倒くさそうな表情を隠しもせず、それでも拒否はしない夫の応えに、ブルマは笑って『じゃ、お願いね』と伝えて通信を切った。
彼は軽くため息をつくと手にしていた本を閉じ、机の上に放ると腰を上げた。
数分後、自動ドアが開く音と共に姿を現した夫を、ブルマは「こっちよ」と手招いた。
近くにいた作業員たちが、軽く会釈をするのも気に留めず、スタスタと示されたデスクの内側に回る。
「で、何だ」
「うん、例のシステムなんだけどね。ここの部分の動きが、今ひとつスムーズにいかないのよ」
「……ちょっと貸してみろ」
コンピュータのモニターを指差し説明するブルマの後ろから、ベジータが覗き込む。
彼女が説明するごとに、ベジータが少し考えながらいくつかアドバイスを加え、画面を操作していく。
しばらくすると、「ああ、そっか」と弾んだ声が上がった。
「ここでこの回路を使えばいいわね。それから次の段階へ繋げて……」
「そうだな。そのほうが、余計なエネルギーを消費しなくて済むし、作業時間的にも短縮が可能だろう」
「そうね、こっちのほうがずっと効率的だわ。よかったー、昨夜からちょっと煮詰まってたところなの。助かったわ」
「──それで、用件はこれだけか?」
「えーっと……そうね。うん、今のところはこれでいいわ。ありがと、ベジータ」
「なら、オレは戻るぞ」
「うん。……あ、そうだ。今夜から詰めの作業に入るから、もしかしたら少し遅くなるかもしれないわ。だから夕飯先に食べてて、って母さんに伝えてもらえる?」
「──わかった」
「じゃ、よろしくね」
短く会話を終えると、ブルマは再び研究員たちと作業に戻った。
その横顔をほんの少し思案顔で見つめ、しかし何かを口に出すこともなく、彼は研究室を後にした。
「おや、ベジータくん。書斎にいるのかと思っていたが、ラボにいたのかい」
居住区へ繋がる廊下から戻る途中、コーヒーのカップを片手に歩いてきたブリーフ博士が、特に驚くでもなく声をかけてきた。
「ブルマに呼ばれて行っていただけだ。例のシステムのことでな」
「ああ、あれかい。いや、そのことではずいぶんと助けられとるよ。わしも一通り目を通したが、当初の予定より完成度も上がっとるし、君には感謝せんとなあ」
「……昔の知識を可能な範囲で喋っているだけだ。別に大したことじゃない」
「いやいや、大したもんじゃよ。さすがに書庫の専門書のほとんどを読破できるだけのことはあるのう」
「……用がないならもう行くぞ。ブルマならラボにいる」
しきりに感心の言葉を述べる博士に、気まずそうな視線を投げると、短くそう言って彼は居住区へと戻っていった。
その後姿を見送りながら、
「謙遜することないのにのう。相変わらずじゃな」
と、どこかずれた感想を述べる博士であった。
見るものが見たならば目を丸くしそうなやり取りが、ここ最近、カプセルコーポではそう珍しくない光景となっていた。
というのも、そもそもの始まりは半月ほど前。
退院したのはいいが、医師から完全に「問題なし」の許可が下りるまでは、「動きの激しい訓練などは一切禁止」との通達が、ブルマからベジータに伝えられたためである。
当然ながらというか、彼の性格からしてそんな命令を律儀に守れというほうが無理な話ではあるが、案の定、一度派手なエネルギーを使ったトレーニングを行ったところをブルマとトランクスに知られ、彼女に本気で泣かれたため、誠に不本意ながら、大人しく引き下がらざるを得なかった。
とはいえ、ごく基礎的な体力作りだけではそう時間が潰せるわけもなく、結果として彼は一日の多くの時間を持て余すことになってしまった。
そのとき、手持ち無沙汰な彼を見たブリーフ博士が、たまたま自前の書斎で読書でもどうかと勧めたのがきっかけで、彼は空いた時間の多くを読書に充てるようになったのである。
元々本を読むこと自体は嫌いではないし、むしろ数少ない時間の有効活用方のひとつとして考えていた行動であったから、それからは博士の書斎に彼の姿がよく見られるようになっていた。
博士の所有している書物といえば専門書がほとんどで、地球における一般人にはとても理解できない本も多かったが、読む相手が彼となれば話は別である。
十日も過ぎる頃には書斎に収容された書物の大体のジャンルを網羅し、ブルマがその内容について戯れに訊ねてみれば、驚くほど的確な答えを寄越すようになっていた。
元々幼少の頃から王族として様々な知識を教え込まれた環境にあり、その後も地球より遥かに文明の進んだ星域で育った彼にとっては、地球における科学の理論などを理解することはそう難しくはなかった。
それまで彼が熱心に打ち込むことといえば闘いに関することしかなかったので、これにはブルマだけでなく、ブリーフ博士もその非常に高い科学的見識や技術力に驚き舌を巻いた。
トレーニングや戦闘が生活サイクルの基本である以上、必要に迫られない限り深く関わることもない分野だったが、暇潰しの名目で始めた読書の時間が日ごとに増えるにしたがって、彼がブルマや博士とそういった話を交わすことも珍しくないこととなっていた。
そんな折。
ブルマが新たに立ち上げた製品開発プロジェクトの件で、難問に突き当たり頭を悩ませていたところ、たまたま資料を目にしたベジータが思いついたままにアドバイスを与えたことで、すんなりと問題が解決したのが、最初のきっかけだった。
彼としては何の気なしに呟いただけだったのだが、その無駄を省いた実践的な意見が実に的を得ていたこともあり、それからというもの、ブルマは作業が行き詰まると彼に助言を求めるようになっていた。
そのたびにベジータは面倒くさそうな顔を隠しもしなかったが、作業日程がかなり押し迫っているらしいブルマの懸命な頼みを無下にすることもできず、渋々ながら付き合うようになった。
そういった機会が増えれば必然的に彼が研究室に顔を出す機会も多くなり、ブルマの下で共に開発を進めている研究チームの面々が彼を目にすることも少なくなかった。
最初は話を聞きながら時折意見を挟み、助言をする程度だったのだが、開発の進行状況によってはより高度な検証や実験が必要になり、それだけのレベルの技術者が少ないため、自然とベジータが作業に加わる時間も増えていった。
今までは彼がブルマの夫であるという認識以外、彼の近寄りがたい雰囲気も手伝ってそれ以上誰も深入りしようとはしなかったのだが、彼が自ら進んでではないにせよ他者の前に姿を見せ、また研究員たちの前で豊富な知識や深い洞察力を示すようになったことが、周りの者にとっては意外さと驚きをもって受け止められた。
かくして、「彼なら天才と名高いカプセルコーポの社長が選んだのも納得できる」という社員の認識と共に、ベジータの存在は(彼の知らないところで)カプセルコーポ内で少しずつ自然に認められていったのだった。
そんな日がしばらく続いた、ある夜。
「ふー、疲れたぁ〜」
電気をつけて鞄を床に落とすと、彼女は倒れこむようにソファに向かってダイブした。
時計は既に深夜近く、当然のことながら家族はみんな寝静まっているだろう時間だ。
「さすがに少ししんどいかなー。肌荒れも心配だわね。……でも、あと少しだし、ここで踏ん張らなくっちゃ」
しばらくソファの柔らかい心地に身体を沈めてから上体を起こし、首を軽く回して長時間の作業で強張った筋肉を解す。と、
「戻ったのか」
「!」
前方から突然響いた声と現れた人影に、思わずどきりとさせられる。
「び、びっくりしたぁー! あれ、あんたまだ起きてたの?」
キッチンの方から顔を覗かせた意外な相手に、彼女は目を瞬いた。
彼は普段家にいるときは夜遅くまで起きていることは少なく、また起きていても大抵は寝室か自分の部屋にいることが多いので、こんな時間にリビングにいるのは珍しいことだった。
「珍しいわね、あんたがこんな時間に起きてるの。どうかしたの?」
「喉が渇いたから出てきただけだ。……おまえの方こそ、今日はもう終わったのか」
「あ……うん。とりあえず一段落したから切り上げてきたわ。明日もまた早いけど」
「例の作業部分にまだ時間がかかってるのか?」
「え? あ、ううん。そっちはもう大丈夫よ、あんたが手伝ってくれたから。今、次のシステムへの移行作業を進めてるとこ。これがちょっと手間取っててね」
「……そうか」
「何かあったら、悪いけどまた協力お願いね。──あ、わたしも何か飲もうっと」
大きく伸びをして立ち上がろうとしたとき、コトンと小さな金属音がしてテーブルの上に何かが置かれた。
「?」
視線を向けると、そこには湯気の立つマグカップがひとつ。
「おまえの分だ、飲め」
素っ気ない声をボソリと落とし、足音がそのまま踵を返してキッチンへと戻っていく。
丸くした両目を何度もぱちぱちさせたブルマは、我に返ると目の前に置かれたそれに手を伸ばした。
(──あったかい……)
両手でカップを包み込み、ひと口啜る。
仄かな甘酸っぱさが広がるそれは、彼女が日頃愛用している飲料メーカーの蜂蜜レモン。
温め直したのとは違う、爽やかな味と香りがふわりと鼻をくすぐった。
(……わたしのため、に?)
自分が帰って来る頃に合わせて作ってくれたとしか思えないそれに、くすぐったさにも似たあたたかな感情が満ちていく。
ベジータは普段あまり嗜好品の類は摂らない。まったく飲まないわけではないが、基本的に水かスポーツドリンクなどの身体に必要な水分しか摂らないので、自分からこういった飲み物を作ることはまずないはずだ。
だとしたら。
この時間まで起きていたのも、自分を待っていてくれたから、なのか。
仕事で疲れていたことも気にならないくらい、表情が穏やかに綻ぶ。
「──もう……わかりにくいくせに、わかりやすいんだから……」
素っ気ない、だけどそれだけでこんなにも自分を満たしてくれる彼の気遣いが、今はこんなにも嬉しい。
少しずつ、噛み締めるように味わったあと、空になったマグカップを置いて彼女は腰を上げた。
「ベジータ!」
パタパタと近付いてくる足音がしたかと思うと、振り向いた途端突然正面から抱きつかれ、ベジータは思わず手にしていた水のボトルを落としそうになった。
「……っ、なんだ、いきなり! 零れるだろうが!」
「んふふ〜〜」
落ちかけたボトルを掴まえて咄嗟に声を荒げるが、上機嫌のブルマはまったく気にせずぎゅっと彼に抱きついた。
「ありがと、ベジータ♪ わたしのために起きて待っててくれるなんて、優しいじゃない」
「……いや、だから、それはだな……」
「だってあんた、普段ああいうの飲まないじゃない。わたしが前に疲れたときに飲みたいって言ってたの、覚えててくれたんでしょ? ……それに、わたしが帰って来るのもあんたならわかるんだし」
「〜〜〜〜〜」
言葉に詰まる彼の顔がたちまち赤くなる様子が暗い照明の下でもわかり、ブルマは微笑んだ。
いつものように無愛想に否定しないところにも、自分に対する心遣いを感じ、胸の内を穏やかな気持ちに満たされて、逞しい肩に額を預け、彼を抱きしめた。
「──もう休め。明日も早いんだろう」
くっついたまま離れないブルマに、彼が溜息混じりに言う。
「いいじゃない。もう少し──このままでいて」
「……」
甘えるように顔を寄せてくる妻の、室内の暗さを差し引いても少し細くなったように見える面差しに、それ以上何も言えなくなってしまい、ベジータは黙ってそっと彼女の背に手を回して抱き寄せた。
以前の彼ならば滅多に見せなかった優しい仕草。
多くを言葉にはしないけれど、だからこそ、その行為が今は何よりも嬉しくて。
逞しい胸に身体を預け、目を閉じて彼の温もりを感じる。
彼らを柔らかく包む静寂の中、それ以上の言葉もなく。寄り添った二つの影は、しばらくそのまま動こうとしなかった。
鋭い風の息吹が、細い唸りを上げて空を薙ぐ。
澄み切った北の大地を包む空気の中に身を置いていると、冴え渡った冷気に意識も研ぎ澄まされていくようだった。
沈黙のあとに小さく息をつき、眼差しが引き締められる。
「……はっ!」
短い声と共に空気が鋭く揺れた。
気を高め拳を連打するように素早く突き出し、瞬時に後ろに引いては大きく蹴りの動作を繰り出す。
攻撃体勢から即座に防御の構えに切り替わり、そして間髪容れずに反撃に転じる一連の動作の型をなぞり、それを何度か繰り返したあとに一旦動きを止める。
気を落ち着かせるように目を閉じて大きく深呼吸し、彼は徐に右手をじっと見つめ、ぐっと拳を握った。
──動きに問題はない。呼吸の乱れもなく、平常だ。精神を集中させれば、指の先まで些細な気の乱れもなく感覚を研ぎ澄ませる。
長期間本格的な訓練ができなかったことにより、最初は相応の衰えを危惧していた彼だったが、それはどうやら杞憂に終わりそうだった。
無論若干の鈍りはあるものの、身体自体はむしろ以前より軽く感じるくらいで、コンディションは今の時点では最良といえる。これならすぐに遅れを取り戻し、より先へ進むことが可能だろう。
自己チェックを終えてひとつ大きく息を吐(つ)くと、彼はもう一度構えの体勢に入ろうとした。
と。
シュン、と背後の空気が揺れた音に反応してはっと振り返る。
「──お、やっぱりベジータだ!」
「……カカロット?」
やはりというか、そこには文字通り突然宙から現れた悟空の姿があった。
よっ、と片手を上げて屈託のない笑顔で挨拶する悟空に、ベジータは目を瞬いたあと憮然とした表情を作った。
なぜここに、と問う必要もなかったが、あえて声に出して訊ねてみる。
「まったく、相変わらずどこでも突然沸いて出る野郎だな。何しに来た」
「いや、修行してたら久しぶりにおめえの気を外で感じたもんでさ。気になって来てみたんだ。おめえも修行か?」
「あぁ。昨日ようやく医者から許可が下りたんでな。これでブルマも納得してやっと自由の身だ。まったく、窮屈でしょうがなかったぜ」
「はは。まぁ仕方ねえさ、ブルマだって心配だったんだしよ。じゃあ、もう身体は大丈夫なんだな」
「問題ない。……そうだ、きさまも修行なら丁度いい。付き合え、カカロット」
「へ?」
「勘を取り戻すには実践形式が手っ取り早い。どうせきさまもそれが大方の目的だろう? 来い、相手してやる」
ちらりと視線を寄越すと、彼はまっすぐに地上へと降下していった。
その姿を瞬きしながら見ていた悟空は、ワンテンポ遅れて彼の言葉の意味を理解すると「おっし!」と嬉しげに笑い、彼の後を追って地上へ向かった。
地表のほとんどを氷河と極寒の海に覆われた大地に、熱気が舞う。
ごうっ、と唸りを上げて吹き上げる風を裂くように二つの影がぶつかり、火花を散らして駆け抜けた。
じりじりと拮抗した力が競り合うたび、互いを見据えた瞳が交差し、ニッ、と不適な笑みを浮かべて離れる。
拳を受け止めた掌にビリビリと残る衝撃を感じ、悟空はぐっと手を握りしめた。
動きのキレも、拳の重さも。自分を見据える鋭い眼差しも。
すべてが以前と何ら変わらぬ鮮やかさをもってそこにある。
――本当に、戻って来たのだ。彼は、ここに。その強さも、闘志も、何ひとつ変わらない彼のままで。
今更ながら胸に迫る実感が嬉しくて、握った拳に更に力がこもる。
あの夜の光景は、今でもはっきりと覚えている。思い出すたび、やり場のない後悔と自責の念に駆られた日々も。
だからこそ、今、再び相見(まみ)えることができたこの瞬間が、本当に嬉しい。
もちろん、かつての自分の行為が、彼にとってすぐに許せるようなものではないだろうことはわかっている。
だから、これからは。
少しずつでもいい、自分にできるだけのことを。
言葉でなくても、こうして伝えていければ。
今度こそ、大事なものを見落としてしまわないように。
そう決めた思いを、今は精一杯拳にこめて。
「どうした、何を考えている? まさか手加減しているわけでもあるまいな」
「ち、違うって。……ただ、嬉しいんだ。またおめえと、こうして手合わせできるのが、さ」
胸中で思いを馳せていたところへ少々不機嫌顔で睨まれ、慌てて否定する。
率直な笑顔で返された答えにかすかに眉を上げると、彼は小さく舌打ちをした。
「フン、相変わらず甘っちょろい野郎だ。……オレも人のことは言えんが」
「へ?」
非常に小さく聞き取れなかった最後の台詞に、悟空が思わず問い返すと。
「何でもない! ……さぁ、続きだ。今度は本気でいくぞ!」
「──あぁ!」
彼の少し慌てた様子に笑みを浮かべ、悟空も改めて身構える。
「──はぁっ!」
二つの声が同時に重なり、向かい合った影が再び空を裂いてぶつかり合った。
「──ふぅっ、やっぱおめえ、すげえなあ。前より動き、早くなってるくらいじゃねえか?」
「当たり前だ! いつまでもグズグズしてられるか。そこいらの軟弱な地球人と一緒にするな」
熱の入った組み手を終え、二人は一旦地上に降りて休憩を取った。
身体を包む熱の余韻が心地良く、地表を吹く冷たい風もさして気にならない。
「きさまこそ、身体がなまってるんじゃないのか? この程度でそんなに息が上がるようでは話にならんぞ」
「いや、修行はやってたけどさ。これだけ思いっきり組み手ができたのは久しぶりだからかな。つい夢中になっちまった」
にかっと邪気のない顔で言われて思わず言葉に詰まり、ベジータは渋い顔で視線を逸らした。
「──チッ、呑気な野郎だ」
その呟きに棘はなく、彼も悪い気はしていないのだろうことがわかり、ホッとした悟空は改めて笑顔を浮かべた。
「え、今日はもう帰るのか?」
それからしばし組み手の内容について会話を交わしたあと、「今日はこの辺までだな」と口にしたベジータに、悟空は多少驚きの視線を向けた。
まだ夕暮れまでには時間があるし、こんなに早く切り上げるとは思っていなかったのだが。
「ああ。最初からあまり派手にやるとまたブルマやトランクスがうるさいからな。二人してギャーギャー喚かれたらやかましくてかなわん」
溜息混じりにそう呟くベジータに、悟空も納得の色を示し「そっか」と頷いた。
医者から許可が下りたとはいえ、彼女たちが心配するのも仕方ないだろう。──あの二人が背負い、過ごしてきたそれまでの気持ちを思えば、無理からぬことだった。
「まあ、無理はすんなよ。またそのうち、手合わせしようぜ」
今日は久しぶりに一緒に組み手ができただけでも十分だと思い、悟空もそれ以上は深入りしなかった。
「当然だ。……次は手加減せんぞ、せいぜい踏ん張れるようにしておけ」
「──ああ!」
互いに顔を見合わせて悟空が大きく頷き、ベジータもふっと小さく笑みを零した。
「じゃあな」
短くそう告げて彼は踵を返し、ふわりと宙に浮くと西の都へ向けて飛び立った。
そのたちまち小さくなっていく光を笑顔で見送ったあと、悟空もまた空を仰ぐと一気に跳躍し、向きを変えて東大陸へと戻っていった。
概ねそのようにして、日々は過ぎた。
ゆっくりと、穏やかに。時にあたたかく、時に賑やかに、彼らを包み、流れていく。
冷たい荒波に巻かれ、激しく揺れ動いた彼らの時間を、静かに取り戻すかのように。
吹き荒んだ吹雪もやがては止み、少しずつ、雪解けの季節へ向かって歩みだす、時の巡りのように。
そうして、すべてが以前と変わりなく、元通りになったかと思われた頃──。
ブルマが仕事中に研究室で倒れた、という知らせがカプセルコーポ内を駆け巡ったのは、それからすぐ後のことだった。