<40>

「休暇?」

 数日振りに、家族全員の顔が揃ったリビング。
 夕食後のコーヒーで一息ついていたブルマは、ブリーフ博士が切り出した話に、きょとんとした顔を上げた。
 頷いてコーヒーのおかわりを夫人から受け取った博士は、一口飲んでから後を続ける。
「そうなんじゃよ。例の件も流通が軌道に乗って一段落ついたことだし、ここしばらくは追加の発注も落ち着いとるからだいぶ余裕が出とる。この辺で、おまえも少しまとまった休みを取ったらどうじゃ?」
「……そんな急に言われても……」
 いささか唐突な提案に、ブルマは戸惑ったように首を傾げた。
 新作の制作発表からこっち、各方面への周知徹底と、生産体制を整え流通ルートを安定させるための業務に追われ、この半年近くは何かと慌しい日々が続いた。
 確かに最近は落ち着いてきたとはいえ、まだそこまで気を抜いているわけでもなく、のんびり休暇など考えてもいなかったのだが。
「いくら余裕が出たっていっても、いつ何が起こるかわかんないし、そんな呑気なこと言ってるわけにもいかないじゃない」
「大丈夫じゃよ、一度流通ルートに乗せてしまえば、よほどのことがない限り業務が滞る事態もまずないじゃろうしな。後は優秀なスタッフたちが頑張ってくれるよ」
「楽観的ねぇ、父さんは」
「おまえもこの件でずっと働きづめだったじゃろ。息抜きも兼ねて、少し羽を伸ばしてきたらどうじゃ?」
「それはいいわね。ブルマさん、そうなさったら?」
 隣の夫人もにこにこ顔で博士の提案に同意する。
「そうね、確かにここんとこ、ゆっくりしてる時間もなかったし……」
 言われてみれば、例のプロジェクトが落ち着くまでは、殆ど余裕なく忙しい日々の連続だったことを思い出す。
 もっとも、最終調整の頃には、夫の助力もあり思っていたほど難儀はしなかったのだけど。
「家でのんびりするのもいいが、ここを離れて気分転換もいいんじゃないかい。来週あたり、久しぶりにまた三人で旅行でもしておいで」
「それがいいわよ、ブルマさん。遠慮せず行ってらっしゃいな」
「うーん、そうねぇ……」
 何とも呑気な笑顔を揃えて言う両親の勧めに、肩の力が抜けたような気分になったブルマは、向かいに座ってデザートを頬張っている息子に声をかけた。
「……それなら、久しぶりにまた三人で旅行でも行こっか? ね、トランクス」
 急に話を振られたトランクスは目をぱちぱちさせてきょとんとし、慌てて口の中のものを飲み込んだ。
「旅行? いつ行くの?」
「うーん、そうね。来週なら連休もあることだし、その辺りならいいんじゃないかしら」
「来週かぁ」
 胸をトントン叩きながらオレンジジュースに手を伸ばし、何かを考えるように一瞬沈黙を差し挟んだトランクスは、あ、と何かを思い出したように口を開いた。
「そういえば、オレ来週に学校のテストがあるんだ。休むわけにはいかないかも」
「……あら、そうなの?」
「うん」
 頷いてジュースを口にし、喉につかえていたデザートを飲み込んで続ける。
「それに、来週の週末は悟天ちに泊まりに行く約束してるんだ。一緒にゲームして遊ぼうって言ってあるし、断ると悪いかも。……だから、オレは大丈夫だよ。気にしないで、旅行ならパパとママと二人で行って来てよ!」
 コップの底に残っていたジュースを飲み干すと、トランクスは満面の笑みを浮かべてそう答えたのだった。


「──なーんてさ。一人前に気を遣ってくれちゃって、あの子も可愛いことするじゃない」
 夜、寝室のベッドで寝そべりながら、ブルマは先刻のことを思い出してクスクスと笑った。
「どこがだ。──まったく、ませガキが……余計な気を回しやがって」
 対照的に仏頂面のベジータがそうぼやくのに、ブルマが唇を尖らせる。
「ちょっとぉ、その言い方はないでしょ? あれでトランクスなりに考えてくれたのよ? あの子も行きたいはずなのに、可愛い嘘までついてわたしたちに気を遣ってくれたんだから、素直に受け取ってあげなきゃ駄目じゃないの」
「……ふん」
 憮然とした顔で、しかしそれ以上は言及もせずベジータは黙り込んだ。
 まったく、こういうときはどっちが子供かわからないわね、と内心で笑みを零す。
 トランクスが旅行に行くことに遠慮したのはブルマにとって意外だった。しかし、その言葉の裏に見え隠れした真意に、彼女はすぐに気づいたのだ。
 テストがあるというのは本当かもしれないが、成績でいえばクラスどころか学年トップクラスの位置にいるトランクスにとって、学校のテストなど大して問題にはならないはずだ。事実、今まで彼がテスト前だからといって慌てて勉強しているのを見たことはない。
 それに三日前、東の都に出かける用があった彼女は、そこに買い物に来ていたチチと悟天に偶然出会い、一緒に昼食を取った。その時には、悟天も何も言っていなかったはずだ。既に予定があったのなら何かしらの話題が出たはずだから、トランクスが孫家に泊まりに行くという話は、おそらく咄嗟に考えた言い訳なのだろう。
 それも、自分たちを二人だけにしてやりたいという、トランクスなりの心遣いに違いない。
 勘の良いブルマは息子の意図を察し、それ以上深くは聞かないことにしたのだ。
 ベジータも、少々物言いたげな視線を向けはしたものの、口を挟むことはしなかった。
 かくして、一週間後の連休には夫婦揃っての旅行という計画が立つに至ったのである。
「でも二人だけなんていつ以来かしら? 久しぶりに楽しみねぇ、何だかハネムーンみたい。どこ行こうかしら」
「……言っておくが、バーゲンだのパーティだの、人混みの中は御免だからな。それならオレは行かんぞ」
「はいはい、わかってるわよ。そんなこと今更言わなくても」
 彼女が楽しそうに考えを巡らせている様子を見て、またろくでもない役目を押し付けられては叶わんと踏んだベジータが釘を指し、ブルマに呆れた顔を向けられる。
「せっかくだからゆっくり休めるところがいいわよねぇ……。──あ」
 うーん、としばらく枕に肘をついて考え込んでいたブルマが、何かを思い出したように声を上げた。
「そうだわ。ねぇ」
「……何だ」
 素っ気なく聞き返すベジータに、ブルマは苦笑混じりに、しかし柔らかな視線を向け、言った。

「もう一度、あの場所へ……行ってみたいわ」


「──へぇ〜、それでブルマさとベジータさ、二人で旅行に行ったんだか」
 人数分のお茶を出してテーブルに並べたチチが、感心したように声をかけた。
「なるほど、それで急にうちに泊まりに来ることになったんだね」
「うん」
 納得した顔で呟く悟飯に頷いて、トランクスは出されたお茶を受け取る。
「ごめんね、おばさん。急にお邪魔しちゃって」
「ええんだええんだ、そんなこと気にしなくて。うちはいつでも大歓迎だよ。な、悟空さ」
「あぁ」
 子供らしからぬ遠慮を見せるトランクスに、悟空とチチは揃って頷いた。

 連休の週末、東大陸の孫家にて。
 数日前に「泊めてほしい」と連絡してきたトランクスのいささか急な頼みに、悟飯を始めとした一家は怪訝な顔をしたものの、断る理由もないのでもちろん快諾した。そして約束通りにトランクスがやって来て、今に至る。
 連休は一緒に遊べると悟天は喜んだが、ブルマからの事前連絡もなしに彼が突然来るのも珍しいので、何かあったのかと悟飯が訊いたところ、トランクスが先週家族の間で交わされた話を説明したのだった。
「でも、いいんか? せっかくベジータが一緒なのに、おめえも行きたかったんじゃねえのか?」
 納得しつつも、悟空が不思議そうにトランクスに尋ねる。それは、トランクスの父親への懐きようを良く知る面々にとって、もっともな疑問でもあった。が、トランクスは「ううん」と首を振った。
「いいんだ。オレは前にも連れてってもらったし、パパともたくさん二人で話をして、いろんなこと教えてもらったから。……ママはオレが何も知らない間も、ずっと辛い思いをしてたんだ。パパが目を覚ますまで、一番大変だったんだし。……だから、たまにはママにパパを独り占めさせてあげたいと思って」
 そう言って彼は少し大人びた表情で、しかし誇らしげに笑顔を見せた。
「……おめえ……」
 隣に座って話を聞いていたチチが、最初呆気にとられたような顔をし、次に感極まったようにトランクスの頭をごしごしと撫でた。
「ほんっとに、親孝行だなぁ。うちの子たちにも負けてねえべ。こんないい息子持てて、ブルマさもベジータさも幸せだな、きっと」
「よしてよ、そんな大したことじゃないし」
 照れくさそうに笑うトランクスを、目を瞬いていた悟空や悟飯も微笑ましく見守る。
 この二年近くの間、彼らが耐え、そして乗り越えてきた経験があるからこそ、そこに存在する言葉以上の重みと温かさ。
 トランクスのさり気ない気遣いもまた、彼らにとって、これからずっと続いていく平穏な日々の、大切な思い出のひとつになってほしい。皆が一様に、そう思った。
「よーし、今日の夕飯は奮発するべ! 腕によりをかけて作るからな、楽しみにしててけろ!」
「あ、お母さん、僕も手伝いますよ」
「そうだか? じゃあ、野菜の準備お願いするだ。それから悟空さ、あとで魚獲りと薪割り頼むだよ」
「おう、任しとけ!」
「わぁい、今日はごちそうだね!」
 チチのてきぱきとした指示に悟空と悟飯が応えて腰を上げ、子供たちの弾んだ声が朗らかに響くのだった。


 なお、この件にヒントを得た悟飯と悟天が、兄弟だけで話し合い、両親の結婚記念日に二人の時間をプレゼントをする計画をこっそり立てていたことは、また別の話である。

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