「そういえば、これを見返すのも久しぶりねえ」
ページを開くなり、ブルマが感嘆の声を上げる。
「そうでしょ? ふふ、ママも嬉しくなっちゃって色々出してきてみたの」
「どこにしまったかつい忘れちゃってたんだけど、そうそう、こんなのもあったわね」
懐かしそうに目を細め、一枚一枚ページをめくる。
そこに収められた場面を思い起こし、ひとつひとつ指で追いながら、母親と思い出話に花を咲かせていると。
「あれ、ママとおばあちゃん、何やってるの?」
ちょうどトレーニングを終えたところなのだろう、首からタオルを下げてスポーツドリンクを手にしたトランクスがリビングに入ってきた。
「あら、トラちゃん。うふふ、一緒に見ない? あなたが小さい頃のアルバムよ」
「ええ〜?」
意外な言葉に目を瞬き、それから少しきまりが悪そうにポリポリと頭を掻く。
「なんでそんなの出してきたんだよ、恥ずかしいなあ」
言いながらひょいと横から覗き込む。
アルバムは数冊にわたって続き、トランクスが赤ん坊の頃からの様々な写真が収められていた。
「早いものね、あんなに小さかったあんたが、もうこんなに大きくなっちゃってるんだもの」
まだ指をくわえてブルマに抱かれている写真を指先でなぞり、ブルマが笑う。
「赤ちゃんの頃から目つきが悪くて将来どうなることかと思ったけど、なかなかいい男に育ってくれてわたしも安心したわぁ」
「もう〜、何言ってるんだよ」
母のこういった物言いはいつものことなので慣れてはいるが、言われるほうとしてはやはり恥ずかしいというか照れ臭いので呆れ半分にたしなめる。
「──あれ?」
そこでテーブルの上を見たトランクスがふと怪訝そうに眉を上げる。
「ママ、これは? 他のと違うみたいだけど」
「え? ……ああ」
トランクスが指したアルバムを手に取り、ブルマが少し目を細めて表紙を開く。
「こっちはみんなで撮った写真よ。そんなにたくさんないけどね」
一枚目は、まだ自分が産まれて間もない頃の家族全員で写っているもの。その次は、悟天や悟飯、チチなど孫一家と並んでいるもの。
賑やかなことが好きな母の提案で、カプセルコーポでは何かの記念や季節の行事などに友人たちを招いてよくパーティが開かれていたため、そういった機会に記念写真を撮ることは珍しくなかった。
そして、当然といえば当然ながら、その時に写っているのは決まってトランクスやブルマ、ブルマの両親だけだった。
少しだけ複雑な顔をしつつ、あるページをめくったところでブルマの手が止まった。
「……あ」
その写真を見てトランクスが小さく呟く。
──それは今まで不在だった人物、悟天そっくりの彼の父親が新たに加わった光景だった。
そして、もう一人、それまで見なかった顔──。
半ばブルマに無理矢理引っ張られる形で写っているベジータもいた。
おそらく写真嫌いの父が、母に強引に引き入れられたのだろうけど。
あの闘いのあと、戻ってきてくれた父が初めて家族と一緒に写っている姿。
「まったく、あいつが写ってるのっていったらこのあたりくらいしかないんだものね。ほんとにへそ曲がりなんだから」
ブルマの言い草にトランクスも苦笑する。父の写真がほぼ皆無なのをさびしく思ったこともあったが、あの性格では仕方ないだろうと納得もしていた。
それに、あの闘い以降、父は少しだけ変わった。
決して自分から人前に出るわけではないが、ふとした瞬間に、気付けば彼らの近くにいてくれるようになったと感じたのは、いつだったか。
写真嫌いは相変わらずだったが、画面の片隅に以前とは違う表情で小さく写っているものも、時折見られるようになった。
そして次のページをめくった時──再び彼らの視線が止まる。
それはあの時の……トランクスの十歳の誕生パーティが行われた日の、記念写真だった。
父の肩に乗って満面の笑みを浮かべている自分と、穏やかな表情の父と、柔らかな笑顔で写っている母。
初めて、ベジータが正面から一緒に撮ってくれた、大切な瞬間。
あの時の父の穏やかな笑みと、初めて肩に乗せてくれた行動の意味と、それを知りながらも心の中に押し殺していたのだろう母の心境を思うと、トランクスは今でも胸のどこかがちくりと疼くような痛みを覚える。
もしかしたら、これが最後になるかもしれなかった一枚。
それだけに、彼らにとっては大きな意味を持つ瞬間だった。
「でも、これからまた、増やしていけばいいのよね。わたしたちと──この子も、一緒に」
写真をそっと撫でた後、ブルマは自身の腹部に手をやり、柔らかな微笑みでそう言った。
──ああ、そうか。
今更ながら母が昔の写真を出してきて眺めていた理由に思い至り、トランクスは小さく「……うん。そうだね」と頷いたのだった。
そのニュースがカプセルコーポにもたらされたのは、ほんの一週間ほど前だった。
仕事中に気分が悪くなり、病院で診察を受けたブルマに医師から「おめでとうございます」という祝福と共に告げられた「懐妊」の言葉は、彼女たち一家の空気を沸き立たせた。
二人目の孫の知らせにブリーフ博士夫妻は殊の外喜び、トランクスは年の離れたきょうだいが出来たことに驚きつつも、素直に嬉しいと思った。
そしてもちろん、ブルマも第二子を授かったことに嬉しさを隠せない様子で、いつもどこか楽しげな笑顔でいることが多くなった。
大事をとって仕事は控えめにし、家にいる時間が多くなったので自然と家族との会話も増えた。
そして肝心のもう一人──二人目の子の父親となる予定の男はといえば、特に変わった様子を見せることもなく、それまで通りの日々を送っているのだった。
最も、今までよりも重力室にこもっていたり、外に修行に出ていたりする時間が明らかに増えてはいたのだが。
食事を取る時間を微妙にずらしたり、特に何かにつけて(もちろん悪気はなく)孫の話を振り撒きがちなブリーフ博士夫妻となるべく顔を合わせないように装ったりと、その話題に出来るだけ触れないようにしているつもりなのだろう、とトランクスは苦笑する。
そのたびにブルマは「今更照れることでもないでしょうにね」と呆れ半分に笑っていたが。
思いがけないめでたい知らせに皆が表情を綻ばせ、その日を心待ちにしながら、カプセルコーポの日常は和やかに過ぎて行った。
妊娠がわかった時、もちろん一番喜んだのはブルマだった。
意識していないわけではなかったが、なかなかその機会に恵まれずにいた待望の第二子なのだ。
その事実が判明した夜、彼女はすぐにそのことを夫に告げた。
思いも寄らなかったのだろう知らせに、彼は少し驚いた表情を見せ、次に少し思案顔になった後、「そうか」と短く呟いた。
目に見えて嬉しそうな反応を期待していたわけではもちろんないが、その素っ気ない返事にブルマは唇を尖らせた。
「なによー、もう少し喜んでくれてもいいじゃない」
せっかく家族が増えるのに嬉しくないの?とにじり寄る妻に、彼は「いや、そういうわけじゃないが」とたじろいだ。
何かを気にしているような表情に、その理由にふと思い至ったブルマは、柔らかく笑うと「産むわよ、わたし」とはっきり告げた。
「だって、あんたの子だもん。あんたが今も、生きてわたしたちの側にいてくれるって証の子だもの。……だから、産むわ」
ベジータがどこか考え込むような素振りを見せたのは、おそらく地球人の年齢では高齢出産の域に入る彼女の体を気遣ってのものだろうと感じたのだ。
自分はチチのように体を鍛えていたわけでもなく、体力からいえばごく一般的な地球人女性の標準とそう変わらない。むしろ、仕事で時々無理をして体に負担をかけることもたまにある。その点がおそらく気になったのだろう。
「……そうか」
しかし、妻のきっぱりとした言葉と強い瞳に、彼は目を瞬くと小さくフッと笑い、彼女を抱き寄せた。
「体調は問題ないのか」
「ええ。順調だって言ってたわ」
「あまり、無理はするな。仕事は……」
「大丈夫よ。父さんにも言ってだいぶ減らしてもらったし、少しは動いたほうがお腹の子にもいいのよ」
夫の控えめな気遣いに微笑み、ブルマは彼の肩にそっと頭を預けた。
「今度は男の子かしら、女の子かしら。トランクスは弟が欲しいって言いそうだけど、あんたはどっちがいい?」
「別に、どっちでも構わん」
何気なく尋ねた問いに、間を置かず率直な答えが返ってきたのでブルマは意外に思った。
「あら、そう? 男の子だったら鍛えられるし、そっちがいいって言うかと思ったけど」
「強くなりたいと思うなら男も女も関係ないだろう。そいつの好きなようにさせればいい」
「ふーん? じゃあ女の子でも、強くなりたいって言ったら鍛えてあげるの?」
「無論だ。サイヤ人なら性別は関係なく戦士だったからな」
「それはまあ、そうでしょうけど」
彼らしい返答に苦笑しながら、ブルマはそっと腹部に触れる。
「でも、もし女の子だったら、あんたその子のこと甘やかしちゃうわよ、きっと」
「──なぜだ」
「んー、何となくだけど、そんな気がするの。何でも、父親にとって娘っていうのは特別な存在になるらしいわよ?」
「……何だそれは。ガキはガキだろうが」
憮然とした表情で言う夫に小さく吹き出す。もちろん彼に地球一般で言う父親の感覚が通じるとは思わないが、それは多分、いずれ会えるこの子が教えてくれる。そんな気がした。
「まあ、どちらにしても、今はまだ早すぎてわからないけどね」
トランクスが産まれた時は、時期が時期だけに色々不安もあったけれど。それでも息子は健やかに成長し、彼女たちに多くのものを与えてくれた。この子も同じように、これからの日々を鮮やかに彩ってくれるだろう。
今は何より、彼がそばにいてくれる。それだけで、何があっても大丈夫。そんな気がした。
「楽しみね。きっと、賑やかになるわ」
穏やかに言って寄り添う妻の微笑みを、ベジータが無言で受け止める。
言葉に出して語ることは少なくとも、今はそれで十分だった。
この時のブルマの予感が限りなく真実に近かったことを後に実感し、ベジータが「つくづく地球の女は恐ろしい」と内心で舌を巻く羽目になるのは、母親そっくりの娘が誕生してから、もう少し後の話である。