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雲ひとつない抜けるような蒼穹に、一陣の鋭い風が吹き抜ける。
一瞬遅れていくつもの衝撃が走り、震動がビリビリと大地を揺るがす。
気流の摩擦で熱を持った空気が圧迫された後に弾けて四方に散り、砂塵を巻き上げ岩肌を燻らせた。
突き合わせた腕の力がギリギリとしのぎを削る中、交差する視線がニヤリと笑う。
間髪いれず繰り出されるパンチや蹴りの応酬が続き、互いに一歩も引かぬ姿勢のまま、周囲を包む熱気がどんどん上がっていく。
攻撃を防ぎ、相手の動きの先を読み、次の一手を打つ。常人には既に見ることすらできない光速のやり取りも、彼らにとっては呼吸をすることと同じように、自然に体に馴染んだものだ。
拮抗した力が跳ね返った反動で距離を取り、すかさず下方にいたベジータが短い気合いと共に上に向かって気功波を撃つ。
咄嗟に避けた悟空が同じく腕を振りかぶって気を放ち、それは大きく曲線を描いて後方から回り込む。
しかしベジータは動じることなく、視線の端でその軌道を確認しただけでニッと笑い、ぐっと両腕を交差させ「はっ!!」と瞬時に気を高めて自身の周りに障壁を張り、ぶつかった気の塊を消滅させる。
その様子を見て悟空もまたフッと笑みを浮かべた。
それからしばらく気功波を織り交ぜた攻防が続き、気流が渦を巻いて火花を四方八方に散らし、ひときわ大きく雷光のような音と光が弾けてあたりの空気を震わせた。
と同時に今度は二人の影が地上へと下り、再び真っ向からぶつかり合う。飛び交う拳のうねりが耳朶をかすめ、空を切る蹴りの軌道から鋭い烈風が走り、どちらともつかぬ髪の切れ端がフワリと宙を舞う。
熱を帯びた攻防で双方の服は所々が破れ、体のそこかしこにかすり傷も増えていたが、向かい合う視線は実に楽しげだった。
連続で繰り出した互いの拳をがっちりと掴み、額を突き合わせて睨み合う。
「く……っ!」
「んぎぎ……!」
押され、押し返し、至近距離で圧縮され高まった気がバチバチと火花を散らして地面を焦がす。
競り合った力が跳ね返された勢いを利用して一旦距離をあけると、刹那の間に気を高めた二人は腕を大きく振りかぶり、正面から向かっていった。
「はぁあ──っ!!」
「だりゃ──っ!!」
それぞれの力を乗せた渾身の右の拳がぶつかり合った瞬間、地響きと共に幾筋もの亀裂が大地を割り、熱風の荒波が岩をなぎ倒し、一点に凝縮したまばゆい光が弾け、爆発した。
「ふぃー、さすがにちょっと疲れたなぁ」
荒くなった息を大きく吐き、悟空がぺたりと尻餅をつく。
「少し休憩しようぜ、ベジータぁ」
そのままごろりと大の字に寝転がる相手を、ベジータが呆れたように見下ろす。
「なんだ、もうくたびれたのか? 情けない奴だ」
「んなこと言ったって、ずっと動きっぱなしじゃおめえも疲れるだろ?」
「フン、この程度はどうってことない。軟弱なきさまと一緒にするな」
「あー、ひでえな」
軽口を交わしつつも、その声音に棘はなく。
確かに少々息が切れてきたのは事実なので、ベジータも休憩を取ることに異論は挟まず、近くの岩に軽く寄りかかる。
剥き出しになった地面の冷たさを今は心地良く感じながら、寝転んだまま悟空はベジータを見上げる。
「おめえ、今日はずいぶん力入ってんなぁ。かなり手応え感じたぞ」
「当然だ。これでも暴れ足りないぐらいだがな、オレは」
「はは。ま、しょうがねえよな、オラたちが全力出しちまうとまた地球がぶっ壊れちまうし。そしたらピッコロにもどやされるしなぁ」
苦笑いを交えつつ、ふと思い出したように、そういえば、と視線を上げる。
「おめえとこうやって組手すんのも久しぶりだもんな。ブルマのほうはもういいんか?」
彼らには最近娘が産まれたばかりで、ベジータがそのためにブルマを気遣って外で修行をする時間をなるべく減らし、家にいるようにしていたのを悟空は察していた。
「ああ。あいつもようやく落ち着いたようだしな。これ以上ぬるいトレーニングばかりでは体が鈍る」
「そっか。……そんならさ、界王様に聞いて、またどっか丈夫な星に行って思いっきり修行するのもいいんじゃねえか?」
悟空がぱっと思いついた提案を投げてみる。
「……そうだな。悪くないかもしれん」
「だろ?」
「だが、今すぐは駄目だ。三日後にはブルマの奴がブラのためにパーティーを開く予定だからな。顔ぐらいは見せろとうるさいし、ほっとくわけにもいかん。一週間くらい後なら大丈夫だろう」
「ああ、そういやチチがそんなこと言ってたな。よし、そんじゃオラもそれまでに界王様に聞いといてみるよ」
楽しげに言うと、よっ、と勢いをつけて跳ね起きる。
他の星へ行っての修行というのは、前々から地球だけでは思い切った力の発散ができない彼らのために、界王が提案したものだった。
界王星は二人が使うには小さすぎるし、精神と時の部屋は中の環境が特殊なので体への負担も大きく、緊急時以外の訓練には少々不向きだ。そのため、北銀河で地質の頑丈な無人の惑星を探し、時々そこに出向いて修行をすることがあった。
悟空とベジータにとっては多少の空気の薄さや強い重力などは問題にならないので、思い切り力をぶつけ合える場所となれば修行には最適だ。
彼らの家族や仲間も、そう頻繁に地球の地形を変えられては困るので特に文句を言うこともなく、定期的に地球の外での修行は続いていた。
ここしばらくはご無沙汰だったが、ベジータに時間が出来たなら問題はない。久々に思い切り修行ができるのが楽しみだと悟空は笑った。
呑気な野郎だ、とベジータは呆れるが、全力が出せる訓練は彼にとっても歓迎なので、異存はなかった。
「よぉし、そんじゃ、続き始めっか!」
腕をぐるりと回した後に膝に手を当てて何回か屈伸を繰り返した悟空が顔を上げ、ベジータも「あぁ」と腰を上げる。
程なくして、再び周囲の大地を揺るがし、大気を震わせる二つの気のぶつかり合いが始まり、それは陽が傾くまで続いたのだった。
かぁお、かぁお、と夕空の中を鳥の群れが鳴きながら横切っていく。
岩山の隙間を縫って涼しげに草木を揺らす風が吹き抜け、その音に合わせて地面に落ちた薄く長い影がゆらゆらと踊った。
「──ぷはっ。ひゅー、冷たくて気持ちいいなあ! このまま水浴びしてえくらいだけど、道着が濡れちまったらチチに怒られっかな」
澄んだ川の水で喉の渇きを潤した悟空が、ついでに顔をバシャバシャと洗って水飛沫を飛ばしながら頭を振る。
本当にそのまま川に飛び込みそうな男に呆れた視線を投げつつ、ベジータはカプセルから取り出したドリンクのボトルを一気に煽った。
天高く陽が昇っていた時間に始まった修行も熱が入り集中すること数時間、気がつけば西の空が茜色に変わり始める頃まで続き、二人の腹の虫が揃って騒ぎ始めたため、ようやく区切りがついたのだった。
気が済むまで拳をぶつけ合った後の心地良い疲労感に満たされながら、近くに見つけた川のほとりで軽く休憩を取る。
お互いの手の内をよく知る者同士、久しぶりの組手の後の高揚感もあってか語る口調も自然と饒舌になり、忌憚ない意見を交わし合う。
地面に伸びる薄い岩陰が徐々に長くなっていく中、夕暮れ時の涼やかな風が頬を撫で、通り過ぎる。
しばらく会話が続いた後、そろそろ切り上げて家路に着こうかと悟空が腰を上げた、その時だった。
不意に西側の空を覆っていた雲が風に流され、それまで隠れていた陽光が零れ始め、さぁっと辺りに差し込む。
足元に差した朱(あけ)の色に顔を上げた二人は、思わずそこで息を飲んだ。
西の空に浮かぶ夕陽が放つ光が、雲や空、地上の岩山や草原、大地、地面に落ちる影に至るまで、すべてを包み、真紅に染めている。
川の流れに反射してチカチカと踊る閃きや、時々舞い上がる砂塵さえも、朱(あか)い光をまとって煌いているように見える。
その鮮烈な赤の光彩は、まるで朝に産声を上げた太陽が、今日という日の終わりを迎える前に、最後の輝きを放ちながら燃やし尽くそうとしているかのようだった。
その景観に圧倒され、二人はしばらく言葉を失っていた。
特に、ベジータにとっては嫌でも遠い過去を想起させるその色に、様々な想いが胸をよぎる。
既に遠く隔たった記憶になってしまった、今は無き母星の空。
そこにいたのは片手で数えるほどの年月でしかないし、別段良い思い出があるわけでもない。だが、こうして見つめる故郷の星に似た情景は、不思議と不快ではない感慨を彼にもたらしていた。
一方で、悟空も初めて目にするはずの景色に、奇妙な既視感を覚えていた。
もちろん、彼にベジータのようなはっきりした記憶があるはずもない。だが、それでも、眼前に広がる真紅の光に染まる世界は、違和感なく瞳に馴染み、胸の中の、どこか深い部分をチリチリと揺さぶられる気がした。
「すげえな……」
「……」
「──やっぱ、似てるか?」
「……ああ」
「……そっか」
ぽつりと交わされた会話。一言、短く呟いたベジータの表情もまた緋の色に照らされ、真っすぐに目の前の光景を見つめている。それだけで、彼もまた何かを思い起こしているのだろうと悟空は思った。
もっとも、ベジータと自分が感じているものは、当然ながら同じではない。実際の故郷を知っている彼が、何を思い、何を感じているのか、自分にはわからない。
けれど、多分その感情は、決して不快なものではないのだろう。自分が今、この様々な赤が織り成す空の色に、なぜか不思議な懐かしさを覚えているのと同じように。
少しずつ深みを増していく夕映えの空を、ベジータは沈黙を守ったまま見つめる。
過去に宇宙を飛び回っていた頃、渡り歩いてきた惑星は数知れない。大気の色や天候が慌ただしく変化する場所などいくらでもあった。──それでも、この地球で目にする景色の移り変わりは、今まで見てきたどんな星よりも風変りに思え、時として形容し難い印象をもたらした。
今、目に映るすべてが真紅に燃え上がる世界もやがては薄闇に覆われ、漆黒の夜に包まれる。けれど闇の帳はじきに明け、また新しい陽が昇り、紺碧の空を照らし出す。
目に痛いほどの青が広がったかと思うと、同じ空が紅蓮の炎を思わせる赤に染まる。その時ごとにまったく別の表情を見せる様相はまるで、掴みどころのないこの星の気質をそのまま表しているようだった。
戦闘民族を束ねる王家に生まれ、母星が消滅してからもその後身を投じた世界で生き残るために、また己のプライドを貫くために、血で血を洗う非情の掟しか持たなかった彼の運命を変えた、地球での出逢い。
自分と同じ赤い星に生まれながら、この青い星の気性を併せ持つ最後の同族。
この星の色をそのまま写し取ったかのような、どこまでも底抜けに明るい瞳を持つ女。
決して相容れない、忌むべき敵でしかなかったはずの自分を、それでも受け止め、受け入れた星。
あまりに突飛な考え方や唐突な言動に時として振り回され、辟易しながらも、それすらいつしか気に留めなくなっていて。
いつの間にか悪くないと感じ、その上、かつては知り得るはずのなかった──守りたい、という感情すら抱かせた星。
全くもって信じ難い事実であるし、理解しがたい連中だ、と未だに思うことはあるけれど。
何だかんだで絆されてしまっているあたり、結局は自分も変わり種なのかもしれない。
だが、それでもいい、と今は思う。
もしもの話など、考えても栓無いことだ。現に自分は今、ここにいて、この星の上に生きているのだから。
目まぐるしく移ろいゆく色彩を、季節を、人を、すべてを包み込みながら。
訪れるなにものをも拒まず、受け入れ、この星は変わらず、そこに在る。
ならば己も、思うままに生きれば良い。どれほど時が流れようと、目に映る景色が移り変わろうと、自分が自分であることに変わりはないのだから。
その自身が選び取り、掴んだ道に、迷いはない。今までも、そしてこれからも。
遠く空を舞う鳥の群れの影がやがて薄れ、かすかに谺する鳴き声と共に茜色に溶けていく。
紅い光に透き通り、涼やかな音を響かせて流れていく水面で、時折小さな水飛沫が跳ねる。
清かな風の流れが頬を撫でて通り過ぎ、砂塵や草木の切れ端がさらりと音も無く舞い上がっては、赤い光を浴びて散っていく。
この地を染める真紅の光が徐々にその色を深め、陽炎のような赤を揺らめかせながら、太陽が少しずつ、明日へと連なる空の向こうへ遠ざかる。
それを見つめる二つの影もまた、無言で赤い世界に溶け込んだまま──最後の残光がその姿を隠し夕闇に変わるまで、静かに、そこに佇んでいた。