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「……え?」
ブルマは一瞬、ぽかんと呆けたように目の前の相手の顔を見た。
何を言われたのかすぐには理解できず、聞き間違いをしたのかと訝しげに目を瞬く。
「……ドクター、今、何て……?」
ひどく戸惑った声で尋ねられ、彼女の前に立つ白衣の医師は、少し思案顔で言葉を一旦止めた。
今、彼女が話していたのは、西の都にある総合病院の医師で、ブルマの父ブリーフ博士とも面識があり、彼女たちが普段から懇意にしている医者だった。
以前、ベジータが重力室で大怪我をした時にも看てもらったことがあり、彼やトランクスに何かあった時には比較的気兼ねなく相談ができる、彼女たちにとっては貴重な存在でもあった。
その初老の医師は困惑顔のブルマを見つめ、真剣な面持ちを崩さぬまま、しかしできるだけ抑えた声音で、もう一度──静かに彼女に告げた。
「……ブルマさん、落ち着いて聞いて下さい。……先ほどの検査でわかったことですが、彼の症状は……ウイルス性の心臓病によるものです。それも、既に発症した状態になります。──おそらく今までに何らかの自覚症状はあったはずですが、ごく軽いものだったために、気づけなかったのでしょうね」
ブルマはただ呆然と、告げられるまま医師の言葉を聞いていた。だが、その声は殆ど頭には入っておらず、どこか別の世界で響いている音のような気がする。
「嘘、でしょ。だって……」
半分麻痺した思考の中で、必死に打ち消す声が響く。
しかし一方で、それを否定できない何かが同じように胸中に渦巻く。
「だってあいつ、あんなに元気で……何も悪そうなところなんてなかったのよ? 今朝だって普段通りで、何も変わらなかったのに」
うわ言のように声を絞り出すブルマを、医師は沈痛な面持ちで見つめ、しかしゆっくりと首を横に振った。
「この病気の特徴は、潜伏期間が長い割に殆ど自覚症状がないため気づきにくく、しかし一度発症するとその進行速度が極めて速いところにあるんです。……そのために、ご本人もなかなか気づけなかったのでしょう」
静かに告げられる事実の前に、ただ言葉を失うしかないブルマ。
「……でも……でも、治るんでしょ? 治療すれば、治るんでしょ?」
すがるような目で医師を見つめ、震える唇で呟く。
そうであってほしい。そうに決まっている。ただそれだけを、必死に願って。
だが、その望みは、再び彼の宣告によって打ち消された。
「……残念ですが、今の医学では、まだ完全な治療薬が開発されていません。病気の症状を抑えて、進行を遅らせることは可能ですが、病気そのものを完全に治すことは……」
「……そんな……」
嘘だ、と叫びたかった。彼に限って、そんなことがあるはずがないと。
しかし、その病名を聞いた時、彼女の脳裏に思い浮かんだことがあった。
かつて同じ病を患い、別の未来では命を落としてしまったという、古くからの友人の話を。
ただ一人、同じ純血の種族である彼なら──同じ病気にかかったとしても、何ら不思議ではないのだ。……そして──
(……違う……違う、違う違う!! 絶対に嘘よ!!)
だが、いくら心の中でそう叫んでも、頭のどこかで、それは紛れもない事実なのだと呟くもう一人の自分がいる。
「……嘘よ、そんなの」
それでも心は頑なにその事実を受け入れることを拒み、掠れた声でうわ言のように否定の言葉を絞り出す。
目の前の世界から急速に色が消えうせ、音が遠のき、足元から力が抜けていく感覚に襲われ、ふらりと身体が揺れた。
が、崩れかけた身体は不意に後ろに立った温かい感触に抱きとめられ、それ以上傾かずに済む。
「──おい。危ないな、気をつけろ」
「!」
医師が目を見開くのと同時に、聞き慣れた声が後ろから届く。
弾かれたように振り向いたブルマの目に、当の本人の顔が映り、彼女は息を飲んだ。
「……ベジータ……」
「なに幽霊でも見たような顔してるんだ。ほら、しっかり立て」
「……だって……だって、あんた……! 駄目よ、まだ起きたりしたら!」
「もう平気だ。いちいち騒ぐな」
ようやく目の前の状況を理解し詰め寄るブルマを制し、ベジータは医師に視線を向け、言った。
「……あと、どれくらいだ」
「え?」
唐突な問いかけに、医師は意図がつかめず目を瞬く。
「残った時間は、あとどれくらいかと聞いてるんだ」
「……それは……」
ブルマの心情を察して答えに窮する医師を、彼は有無を言わせぬ鋭い眼差しで見返した。
「隠す必要はない。正確に把握できなければ意味がないからな」
淡々と話すその表情からは、告げられた事実に対する困惑も衝撃も見受けられない。
まだショックから立ち直れない様子のブルマとは対照的に、当の本人が冷静そのものの口調であることに、医師は少し戸惑った表情を見せたが、じっと次の言葉を待っている彼の視線に根負けしたかのように息をつき、それでも少しためらうように思案した後、言葉を継いだ。
「……おそらく、あと三ヶ月──薬で症状を抑えて進行を遅らせたとしても、もって四ヶ月──多分、それが……限界でしょう」
「……四ヶ月……?」
ブルマの瞳が再び信じられないという色に揺れ、何かを言おうとしても、喉でせき止められているかのように声が出ない。
「…………そうか」
愕然とする素振りもなく、動揺を見せるでもなく。ただ、告げられた事実をそのまま聞き入れ、彼は一言そう呟き、目を閉じた。
「わかった。──帰るぞ」
少し何かを考えるように押し黙っていたベジータは、また何ごともなかったかのように目を開け、傍らのブルマの背を叩くとそのまま踵を返した。
「……え? ……ちょ、ちょっと!」
魂が抜けたように呆然としていたブルマは、彼のその一言ではっと現実に引き戻され、慌てて振り返る。
「帰るって、何言ってるのよ! あんた、そんな状態でまだ動いちゃ……」
「もう収まった。いつまでもこんな辛気臭いところにいたら気が滅入る」
彼女の引き止める声にも頓着せず、彼は廊下へ続くドアを開けて出て行く。
「ちょっと、待ってよ! ……ごめんなさい、ドクター、詳しい話はまた後で聞くから……ベジータ、待って!」
申し訳なさそうに軽く頭を下げ、急いで彼の後を追ってドアを出て行く彼女の背を、医師は痛ましそうな目で黙って見送っていた。